ヤンキーの「パシリ」になった社会学者【下】

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下世話な書き出し

 「ヤンキーと地元」の表紙をめくり、「はじめに」を読み進めると、いきなり2ページ目で打越さんと仲里という建設作業員が、女性との性描写について語り始める。本では「下世話」と書かれているこのやりとりこそ、打越さんは一番のこだわりをもってつづっていた。

 「この本のタイトルにあるヤンキーについて書かれた本は、別世界の人びとの生活を露悪的に描くアングラものか、おもしろおかしく消費するサブカルものか、逸脱者を更正する働きかけをベースに書かれたものといったいくつかのパターンに分類されるんです。でも、どれも違うなと思いました。大きく影響を受けたのは『忘れられた日本人』(宮本常一著 岩波文庫)の「土佐源氏」です。本では、筆者の宮本さんが、日本全国歩き回って周縁的な境遇の人びとの話を聞き書きしています。その中で、目の見えない「乞食」のおじいさんがいままでの人生を話している箇所があります。本人も「ごくどう」と話すように、いままで過酷な人生をおくってきているけれど、そのおじさんは今までの人生を豊かに語るんです。そしてその話から当時のある地方のことがみえてくる」

 「周縁的な人からみじめな話しか聞かないのはまずい。他方で強かに生きる様子は過酷な状況をないことにしてしまうこともまずい。普段の生活や人生はたしかに生き生きとしており、その生活にこそ沖縄のヤンキーの若者固有の過酷さが編み込まれていることを書きました。その生活を紐解いていくためには、彼らが普段過ごしている場に立ち、普段話していることを聞かせてもらわなければと思いました。だからそういう彼らと普段過ごしている距離の取り方ややりとりを最初に書きました」

 しかしながら、全体を読み通すと、やっぱり出だしが一番生き生きしている。

 「これがギリギリ書ける内容でした。出版元の筑摩書房さんもよく載せてくれましたと思います。ここだけ修正の赤字が入らなかったですから(笑)

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