コラム 穀雨南風③~広場の政治

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沖縄に根付く「広場の政治」

 

日本にも例外的に「広場の政治」が息づいている場所がある。
沖縄だ。

大きな出来事があるたび県内のどこかで大規模な集会が開かれる。すぐに思い出せるだけでも、1995年、少女暴行事件への抗議の総決起大会には8万5千人、沖縄の集団自決をめぐる教科書検定に抗議する2007年の集会には11万人以上が集ったとされる。

なぜ沖縄には「広場の政治」が根付いているのだろう。
琉球王朝時代に何かヒントがあるのだろうか。100万人デモで大統領を退陣に追い込んだ韓国で、朝鮮王朝時代、王への直訴が認められていたように。

いや、本土復帰前の体験こそ大きな影響を与えたのではないか。戦後、27年間、異国に占領されたまま、その支配下で暮らすことがどれだけ大変だったか、日本国憲法に守られることになった本土の人間にはなかなか想像できない。自治権の拡大、渡航の自由など様々な権利を米軍政府との交渉で戦い取らなければならなかったのだ。沖縄の人々にとって大勢集まることが、自らの意志を示す最も効果的な方法、いや、おそらくそれが唯一の方法だったのだ。

本土復帰すれば、もう大勢集まる必要はなくなる。そう考えた人がいてもおかしくない。異国の支配から開放されて、自分の国の一員に戻るのだ。

ところがその後、沖縄がどんな状況に置かれているのかは、言うまでもないだろう。今もことあるごとに広場に集って“直訴”を続けているが、“王”はいっこうに聞く耳を持たない。アメリカのほうは見ても、“民”のほうを見ようとはしないのだ。
集まっても、集まっても“直訴”が届かない状況は、何をもたらすのか。どうせ変わらないという気持ちが頭をもたげてくるかもしれない。先の名護市長選挙でも「どうせ移設は止められないんだから」という言葉、そしてそれに続いて「それならば中央から振興策を受け取ったほうがいい」といった声を何度も聞いた。世代に関係なく耳にしたとはいえ、とくに若者たちにそうした声が多かったように思う。もちろんそうした心情を否定する資格は、私にはない。本土の人間の無関心がそうした状況をつくったともいえるからだ。

それでも、と思う。「広場の政治」が根付かず、自分の手で社会を変えることを、どこかあきらめかけているように見えるのが本土の姿だとすると、それがいいことであるはずはないだろう。数は決して多いとは言えないかもしれない。それでも国会前や官邸前でおかしいことはおかしいと言い続けている人々の思いに触れるたび、あきらめるよりはるかに健全だと思えるのだ。

 

【本欄はTBSキャスターの松原耕二さんが沖縄での経験や、本土で沖縄について考えたことを随時コラム形式で発信します】

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