物理学者の魂をマネージメントする なんてことはできない

この記事の執筆者

人々が見上げる星空の、はるか向こうへと広がる宇宙。その探究のなかでも最先端といえる「ニュートリノ天文学」という分野において、世界をあっといわせる発見を次々に成し遂げた物理学者がいる。その視線が往還しているのは、ミクロな素粒子と広大な宇宙との間だけではない。女性科学者の存在が“普通”になり、好奇心のままに活躍できる来たるべき時代へも向けられているのだ。

謎に満ちた宇宙を解き明かす手がかりとなる極小の素粒子、ニュートリノ。はるか遠い宇宙から地球に届く素粒子を観測することで、その謎を解き明かそうという「ニュートリノ天文学」の最先端をゆく物理学者が、石原安野だ。

彼女は2012年、世界で初めて高エネルギー宇宙ニュートリノの観測に成功。続いて地球の近傍に超高エネルギーを発する天体がありそうだというヒントも発見し、「巨大なエネルギー源は遥か遠くのもの」という、ぼくらにとっての“常識”までも書き換えた。その途方もない世界を楽しそうに語る彼女の言葉は、見えない宇宙の神秘をぼくらにとって身近なものに感じさせてくれる、不思議なエネルギーに満ちていた。

素粒子として地球に届く「宇宙の神秘」を、石原は真摯に見つめ続けている。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──ご専門は「ニュートリノ天文学」ということですが、ミクロな物理学と、マクロな宇宙を研究する学問が合わさっている、不思議な名前の分野ですよね。いったい、何を探究する学問なのでしょうか。

WIRED Audi
INNOVATION
AWA

「ニュートリノ天文学」というのは、光の届かない宇宙の謎を探究する分野です。わたしは現在、高エネルギーの「宇宙ニュートリノ」を研究しているんですが、この分析によって宇宙における“見えない”領域が理解できるようになるんです。

──つまり、光学では観察できない宇宙の領域を解き明かす、ということですね。まずは前提として、「ニュートリノ」とはどういったものなのでしょうか。

ニュートリノとは素粒子の一種のことを指します。そもそも素粒子とは、すべての物質を極限まで小さく分割していったときに現れるものです。なんだかすごく日常とかけ離れた世界のことのように感じますが、実はわれわれ人間も素粒子でできているし、光も、宇宙の星もブラックホールも、すべて素粒子で構成されています。最近話題になったヒッグス粒子[編註:2012年発見。仮説を提唱してきた理論物理学者ピーター・ヒッグスが翌年ノーベル物理学賞を受賞]も、こうした素粒子のひとつです。

現在、素粒子は17種類ありまして──今後研究が進むと、いまは別だと考えられている素粒子が統合されるなどして数が増減する可能性はありますが──このうち3つが「ニュートリノ」と呼ばれるものです。その最大の特徴は、とにかく断面積が小さく、基本的にはなんでも通り抜けてしまう、というものなんですね。光が「矢」のようなイメージだとしたら、ニュートリノは「針」でしょうか。光だとぶつかってしまう物質も、なんなく突き抜けてしまうわけです。

──ニュースなどで耳にする機会が多い言葉ですよね。

2002年に小柴昌俊先生が、2015年に梶田隆章先生が、ともにニュートリノの研究によってノーベル物理学賞を受賞されました。こうしたこともあって、意外と馴染みがある素粒子かもしれません。

南極点に「IceCube」の次世代検出器として設置予定の光検出器「D-Egg」。設計開発段階から石原が深く携わっている。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──そうした分野のなかでも、石原さんのご専門は「ニュートリノ天文学」というものです。何でも通り抜けてしまうニュートリノの性質を用いた天文学、ということでしょうか。

そうです。ニュートリノ天文学において先駆的な研究が、まさに小柴先生が1987年に観測装置「カミオカンデ」で宇宙ニュートリノを観測されたものなんですね。

宇宙ニュートリノとは、宇宙から来たニュートリノということになります。先ほど3種類のニュートリノがあると申し上げましたが、それは「電子ニュートリノ」といった具合に素粒子のつくりによる分類です。そうした区分とは別に、ニュートリノの由来を示す呼び方があるんですね。

梶田先生は「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象によって、ニュートリノに質量があることを発見されました。あの時にテーマとして選んでおられたのは宇宙由来のものではなく、大気由来の「大気ニュートリノ」でした。同じニュートリノではあるのですが、比較的低いエネルギー量のニュートリノを扱っていらっしゃいます。

一方で、かつて小柴先生が超新星爆発によって飛来したニュートリノを検出されたのが、これまで唯一の太陽系外からの「宇宙ニュートリノ」の観測事例だったんですね。

──その「宇宙ニュートリノ」を観測する「ニュートリノ天文学」の分野において2012年、石原さんは世界を驚かせました。南極点の国際共同ニュートリノ観測施設「IceCube」実験の中心メンバーとして、高エネルギーの「宇宙ニュートリノ」の観測に成功されました。これは小柴教授が観測した30年前と比べて1000万倍という強いエネルギーだったと。

南極の「IceCube」は2004年末に建設が始まり、わたしもその時期から参加していました。この施設は高エネルギーの「宇宙ニュートリノ」を検出できる装置として、南極の氷に深さ約2.5kmの穴を86個あけ、それぞれの穴に60個の光センサーを埋めている、というものです。ニュートリノは極小ですが、大きさはゼロではありません。このため硬い物質との間で相互作用を起こし、「チェレンコフ光」という光を発することがある。これを硬く透明な氷を通して観測しようというのが、「IceCube」なんです。

できあがった穴から徐々に運用は開始していましたが、7年ほどかけて2010年に建設が完了し、2011年から全面的に運用を始めています。完成後は南極にはメンテナンスなどで行くことがあるくらいで、あとは自動的に送られてくるデータを研究室で解析しており、毎週のように各国のメンバーとテレビ会議をしています。2012年の高エネルギーの「宇宙ニュートリノ」の観測は、そうしたなかでの出来事でした。

南極から送られてくるデータが表示されるスクリーンを見つめる石原。撮影中にもニュートリノの検出を示す点が映し出されていく。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──高エネルギーの「宇宙ニュートリノ」を観測・研究することが、宇宙の秘密を探る天文学の発展につながります。その意味では大発見ということになりますね。

先ほども説明したように、高エネルギーの光は物質を突き抜けにくく、またビッグバンなど過去に発せられた光の影響も受けやすいものです。このため遠くの天体が発した光を、わたしたちは観測することができません。

一方、太陽圏外から飛来した宇宙ニュートリノを観測することが、そのまま宇宙の歴史をさかのぼることにつながります。見えない領域を探り、知らないものを知ることが、「ニュートリノ天文学」なんですね。高エネルギーの宇宙ニュートリノを観測できたということは、われわれが見えていない領域に高エネルギーの天体が存在するということです。

──2012年の発見が、本当に重大だったことが改めてわかります。皆さんの喜びもひとしおだったでしょうね。そもそもニュートリノ自体が、かつてはこの素粒子がなければ物理法則が説明できない──という「仮説」の存在でした。それがようやく発見されたという歴史背景があるわけで、物理学者の皆さんの根気には頭が下がります。

物理屋というのは不思議なものでして…。「IceCube」は200〜300人のメンバーが長期間かけて進めているプロジェクトですから、自信があるのに想定していた結果が出ないと、「……あれ?」って、だんだん暗くというか、年々微妙な空気になってくるんですよ(笑)

そしていざ高エネルギーの宇宙ニュートリノが発見されても、悲観論者が多いので、みんな「それ、本当に大丈夫?」と疑うところから始まるんです(笑)。わたしもチームのみんなも、喜んだり興奮したりしながらも、間違いがないかもう一回、何日もかけて検証し直す。大丈夫そうだったら、伝える範囲を施設内の上層のグループにまで広げていき、その都度ゼロから検証し直します。

  • 1

    1/6南極に設置されたニュートリノ観測施設「IceCube」。夜になると美しい星空が広がる。PHOTOGRAPH COURTESY OF ICECUBE COLLABORATION

──それは本当に大変ですね…。

だから本当の喜びに至るまで、すごい時間がかかるんです(笑)

──2016年には、同じく超高エネルギーの宇宙ニュートリノの観測を通じて、「発生源が遠方宇宙である」というこれまでの仮説を覆されました。一般的なイメージとしても、超高エネルギーの源になる天体や爆発現象といわれれば、遠くの銀河などにあると想像します。

先ほどニュートリノの観測によって宇宙をさかのぼると言いましたが、ニュートリノの発生源が遠方にあればあるほど、わたしたちが観測できるニュートリノの量も、時間の重ね合わせによって増えてくる。つまりニュートリノの観測量によっても、発生源の遠さがわかるわけなんですね。今回明らかになったのは、わたしたちから比較的近い宇宙の時代にも、面白いことが起きているんだ、ということなんですね。

──地球の比較的近くに、超高エネルギーを発する天体があるというのは、そうした宇宙を巡る通念さえ書き換えそうな発見ですよね。数々の発見があった「IceCube」では中心メンバーとして活躍されていたとのことですが、国際的なレヴェルで科学者同士が協働する際、リーダーとして心がけていたことはありますか。

新しい発見のために、そして目の前の壁を突破するためにリーダーシップをとり、リソース配分をコーディネートし、全体をマネジメントするのはもちろんのことです。一方で、「物理学者の魂をマネジメントする」なんてことは難しい、と肝に銘じることですね。物理学者は、根はみんな一匹狼なんです(笑)

組織の歯車になりたいと思って物理学者になった人はいないので、その人その人がやりたいと思っていることは、できるだけやらせる。その上で研究者とチームで方向性がぶつかり合うとか、研究者同士でテーマが被ってしまう、というときには調整します。

──そうしたあり方こそが、新たな発見につながるものなのでしょうね。

はい。とにかく、みんなが独自のアイデアをいかんなく発揮できるようにと心がけています。効率はあまり重視しません。一見すると効率が悪く見えるプロセスのなかで、ポッと新しいアイデアが出てくることもあります。発言力や弱い人であろうと、勝手に自由にできるように、そのうえでアイデアをフレキシブルに生かせるように、と思ってやっています。

基礎科学というのは、「失敗だ」「予算もなくなりそう」と思ったときに面白い結果が生まれることがある(笑)。わたし自身も、これは失敗だと感じたときにこそ、そこに芽があるという可能性を忘れないようにしたいと思っています。

謎に満ちた宇宙の最先端を解明する道の最先端をゆく石原。その複雑な理論についても楽しそうに語る。PHOTOGRAPH BY KAORI NISHIDA

──それにしても、基礎物理の世界に生きる石原さんにとって、広大な宇宙を相手にする「ニュートリノ天文学」の面白さとはどこにあるのでしょうか。

わたしが物理で一番面白いと感じる瞬間は、一個一個の現象を解明したときではなく、異なっているように見えるAという現象とBという現象が、実は同じ現象の表と裏であった、という関係性が現れてきたときなんです。高校1年の物理の授業で習ったニュートンのエピソードが、面白いなと思ったんです。彼は、落ちたリンゴに働いた力と同じ力が、月や惑星にも働いているのでは──と考えて、万有引力を発見したわけですよね。

もちろん、彼のような1,000年に一度の天才でないと、こっちの現象とあっちの現象を一気に結びつけるなんてことはできません(笑)。でも、一つひとつの現象を最高レヴェルの精度で観測していくと、その先にはきっと、低いエネルギーの現象から高いエネルギーの現象までひとまとめに説明できるようなシンプルな法則がある、と考えています。

──冒頭に出てきた、素粒子の数が今後増減するかもしれない、という話も、まさにそうした現象の表と裏がつながった瞬間に起こりうることですよね。最後に、女性の科学研究者の立場から、こと日本においてはこの世界に女性が少ない現状についてお聞きしたいと思います。

データを見てみると、自然科学であろうと工学であろうと、女性研究者の割合というのは世界標準で小さいわけです。こうした状況を変えるためにも、幼少期の女の子に将来の夢を「科学者」と書いてもらえるようにしていきたいですね。わたし自身もそうでしたが、親や周囲が安心することもあって、どうしても無難な答えを書きがちで…(笑)

──そうなりがちですよね。「リケジョ(理系女子)」という言葉があること自体が、「普通」だと見なされていない証左だと思います。

ブランドとして機能するわけでもなく、どうしても「線引き」として用いられがちですよね…。文系であろうと理系であろうと、美術であろうと物理であろうと、好奇心をもった女性が一様に応援される──「好奇心をもつのっていいよね」という価値観が女の子たちに広がっていくような流れに世の中がなっていけばいいなと感じています。女の子がふと科学に興味をもったら、近所や親戚といった身近なところに科学者の女性がいる──。そんな未来にしていきたいですね。

この記事の執筆者