なぜ、いま栄町共同書店なのか

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シェア型書店のポテンシャル

2024年10月1日、沖縄県那覇市の栄町市場内に「栄町共同書店」がオープンした。研究者やアーティスト、編集者の6人から成る栄町労働者協同組合が運営するシェア型書店だ。シェア型書店は、小さな書店が集まる団地のような場所だ。店の本棚を一箱単位で「箱店主」に貸し出し、その対価として利用料を受け取る。業態としても、書店というよりマンション経営に似ている。書店という場所に価値を見出す人々に支えられて存続する経営モデルだ。沖縄では大宜味村の「喜如嘉(きじょか)翔学校」内にある山ブックスに次ぐ県内二例目になる。

沖縄でも日本本土と同じく、街の書店は段々と姿を消しつつある。TSUTAYAは相次いで閉店し県内唯一の百貨店パレット久茂地内で営業してきたリブロも2024年5月に21年の歴史に幕を下ろした。その他の書店もどんどん姿を消し、この10年で四分の三にまで減っているという。

そうした背景もあって、栄町共同書店には、街の書店を残すための新しい取り組みとして注目してくれる人も少なくない。開店に向けたクラウドファンディング(~10/12)でも予想を超える大きな反響があったが、それも街の書店がなくなることに対して、多くの人々が焦燥感を抱いていたからだと理解している。

ネット空間に無限の娯楽が広がる時代に、街の書店が姿を消すのは仕方がないことのような気もする。にもかかわらず、やはり書店が無くなって寂しく思うのは何故か。それは人間にとって、本が社会と接続する切片だからだと思う。過去に誰かが考え抜いたことが、本を媒介に、時間も場所も超えて社会に循環していく。その流れの中に身を置くことで安心できるのが人間なのではなかろうか。街の書店は、その大事な繋ぎ目のひとつだ。

だから、本にめぐり合える場所を残すことは栄町共同書店の重要な役割の一つだと考えている。しかし、従来の書店の機能や役割を、そのまま代替できるとは思っていない。表面的には同じように本を買う場所であっても、選書するのは一般の利用者(箱店主)だ。豊富な経験や仕入れルートを持ったプロの書店員と同じような棚づくりは望めない。客のニーズに合わせた書店を目指すなら、多くの箱店主が各個バラバラに選書するより、店の棚を一元管理した方が良いに決まっている。

だがシェア型書店は、既往のニーズに応えるというより、潜在的なニーズを新たにつくり出す点で強みを発揮する。お客さんの興味関心を新たに喚起し、手に取る予定もなかった本との出会いを生み出すこと。つまり、個々の箱店主が自身の得意を発揮しつつ、客の隠れた関心を想像しながら棚を作り込むことが大事になる。

シェア型書店の箱店主は、維持経費の一部を利用料金として負担し、自身の棚の範囲で選書を担う。立場上は利用者だが、部分的に書店の運営に参画するかたちになっている。東京・高円寺の「本の長屋」で自ら箱店主をやってみた時、この不思議な関わり方に書店という枠を超えた可能性を感じた。長屋を主宰する狩野俊さんは、栄町共同書店のクラウドファンディングのために寄せてくれたメッセージの中で、「シェア型書店は、書店の減少に歯止めをかける、救世主的な存在と捉える向きもあるが、私はそのようなことよりも、多くの人が参加して、ひとつの店を営んでいく、その運営過程にこそ貴ぶべきものがある」と語っている。

筆者がシェア型書店に惹かれたのも、同じ理由だった。すなわち、書店という場所に価値を見出す人たちが、箱店主として少しずつ負担を引き受け、限定的ながらも運営に参画していく、そのあり方だ。「自分達に必要なものは、自分達でつくる」という実践の中に、新しい社会との関わり方をもたらすポテンシャルを感じた。

栄町共同書店外観。近日中に店頭にベンチを設置予定

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