沖縄、貧しき豊かさの国――岸本建男と象設計集団が遺したもの【第2回 逆格差論のスケッチ――政策批判と暮しの思想】

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竣工から43年目を迎える名護市庁舎。特異なデザインで際立つまちのランドマークをめぐって、地元・沖縄では保存か解体かの議論が静かに始まっている。当時、この建築の現場にかかわったのは、故岸本建男(元名護市長)をはじめとする名護市の若手職員と、本土の新進建築家グループ、象設計集団とその仲間たちだった。両者は、市庁舎建設に先立つ1970年代、「逆格差論」を掲げる『名護市総合開発・基本計画』の策定や、「21世紀の森公園」の整備にも深くかかわっている。本連載は、名護や今帰仁で起きた彼らの出会いと交流を、その場に立ち会った方々の証言から再構成し、「復帰」後の沖縄に垣間見えたもう一つの社会構想を紹介する。それは地域の自治と自立、消費経済に翻弄されない“貧しき豊かさ”への思想的試みであり、現在へ及ぶ日本社会の課題を浮き上がらせる視点でもある。


所得格差論の正体

「逆格差論」は、『名護市総合計画・基本構想』(以下『名護市基本構想』と略記)に現れる。本土の多くの方は、この言葉に初めて出会うのではないだろうか。私も知ったのは近年のことだ。でも、どこか身構えたような、防御の棘を突き出したような語感は印象に残った。その印象が、この文章を書くきっかけになったと言ってもいい。

「逆格差論」が生まれた背景を少し説明しておきたい。

「沖縄振興開発計画」(1972~2001)という、政府(沖縄開発庁)が「復帰」後の沖縄経済の方策を示した計画がある。「本土との格差是正」を唱え、そのために大規模なインフラ開発を実行した。この政策は沖縄海洋博(1975)の開催を機に、建設業・観光業・流通業の急激な拡大を招き、本島北部を中心に大きな開発ブームを引き起こした。

  「沖縄振興開発計画」の背後にあるのは、「所得格差論」という官製の経済論だ。工業と農業の間、中央と地方の間にある経済格差を工業(と付随する第三次産業)の振興によってなくし、農村や地方の生活水準を都市や中央のレベルに近づけようという考え方である。一見、福祉政策のような顔を持つこの経済論は、1960年代の高度経済成長のキーノートの一つだった。1962年に始まる「全国総合開発計画(一全総)」は、この考え方に則って国土全体の利用・開発を指導していく。「沖縄振興開発計画」が、一全総に続く「新全国総合開発計画(二全総/新全総)」(1969)をベースに策定されたことも容易に想像できる。

 しかし、農村や地方に対する工業化の押し付けは、第一次産業とその基盤である自然の破壊を招く。高度成長期の本土で起きた農業人口の減少と農村の疲弊、工場の地方進出がもたらした環境汚染の拡大はそのことを明確に語っていた。米軍の占領によって工業化と高度成長に「乗り遅れた」沖縄は、「復帰」によって改めて本土経済の濁流に呑み込まれかかっていた。

『名護市基本構想』にはこんな文章がある。

「“あなた方は貧しいのです”という所得格差論の本質とは、実は農村から都市への安価な工業労働力転出論であり、中央から地方への産業公害輸出論であり、地方自然資源破壊論であったと見ることができよう」

このような認識に立って、沖縄北部、山原[やんばる]のまちは反撃を開始したのである。

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