【おすすめ三点】
■月ぬ走いや、馬ぬ走い(豊永浩平、講談社)
沖縄の黄金言葉と近現代史を登場人物の「語り」を通じて紡ぐ
■琉球をめぐる十九世紀国際関係史(山城智史、インパクト出版会)
ペリーと琉球が締結した「コンパクト」の交渉過程を検証
■世界史のなかの沖縄返還(成田千尋、吉川弘文館)
沖縄をめぐる東アジアの外交・安全保障政策にフォーカス
自公などの反知事派が大勝した6月の沖縄県議選から10日足らず。沖縄の米空軍兵が16歳未満の少女を誘拐し、性的暴行を加えたとして3月に起訴されていたことが分かった。その後も米軍人の性犯罪が次々に露呈。これらがもっと早く発覚していれば、再発は一定程度抑止され、県議選の結果も変わっていただろう。
被害者支援に当たる県にすら事件を通知せず、自治の根幹を踏みにじった政府や米軍から謝罪の言葉はない。被告が自衛隊員や警察官だった場合、こんな対応は許されたか。
事件が起きたのも県警や政府の対応も「沖縄だったから」と考える人もいたかもしれない。だがその後、在日米軍基地のある本土の都県でも米軍人の性犯罪が伏せられていた実態が判明した。最初に報じたのは沖縄タイムスだ。基地被害は「沖縄の問題」という刷り込みが全国メディアの内部にもなかったか。
ただ、この事実を突きつけられても日本社会に動揺は広がらなかった。同じ本土でも、一部にすぎない米軍基地所在地周辺での事件は「遠くの出来事」になり得る。基地内に逃げ込めば日本の警察は原則逮捕できない、といった在日米軍関係者なら誰もが認識している特権を知る日本人はそう多くない。取り調べのたび米軍や外務省の非公式な介入に手を焼き、「立件に至るのは氷山の一角」と嘆く現場の捜査員に接する本土の記者もほぼいないだろう。米軍人の性犯罪が後を絶たない現実と向き合い、その背景にどんな「必然」があるのかを見極めようとする動機そのものが今の日本には、ない。
沖縄ではそうはいかない。日本が敗戦国である事実を都合よく忘れることはできないほどに「米軍」が生活と密着している。その皮膚感覚の違いがギャップを生む。
小説『月ぬ走いや、馬ぬ走い』は、沖縄戦が始まった1945年から現在に至る沖縄の「集団的トラウマ」ともいえる記憶の断片をなぞる、ひと連なりの絵巻のようなストーリーが展開する。日常の中に「軍」と「(性)暴力」の影がちらつく社会で、抑圧からの解放という内的欲求は行き場を失い、時空を超えてしんしんと折り重なる。その内実は「良くなることはなく、ただどうどう巡りしながら後退していくだけ」である。