断絶が生むトラウマ、共有できない痛み

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 琉球・沖縄の特異性は国際社会の多様な視座に照らすことで一層際立つ。日米交渉の枠で捉えられがちな沖縄の日本復帰に、東アジアの視点を加えて検証したのが『世界史のなかの沖縄返還』だ。復帰後の地域の安定に不安を抱いた韓国や台湾の働きかけもあり、沖縄の基地機能の維持が方向づけられた経緯を史料から明らかにしている。

戦後間もない時期、韓国の李承晩や台湾の蒋介石政権は、沖縄が日本に帰属するとは考えず、「反共の砦」として沖縄の米軍基地維持を望んだ。これは沖縄で復帰運動が高まった60年代も変わらず、日米両政府に沖縄の米軍基地の維持を働きかけた。一方、中国や北朝鮮は「米国の沖縄占領」に反対する立場から日本復帰を支持した。

中国による「併合」が懸念される台湾では、沖縄に駐留する米軍の抑止力に期待する声は依然根強い。北朝鮮の核の脅威が高まる韓国も同様だろう。武力による均衡に依存する限り、国際社会は沖縄の非軍事化を許さない。だから、当人たちの意思とは無関係に基地は存続してきた。

6月には米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に抗議していた人と地元の警備員が死傷する事故が起きた。ネット上は急に沖縄が身近になったように抗議行動への批判で埋め尽くされた。本土の「義憤」は基地の主には決して向かわない。

外からは別々の断片にしか映らない出来事も、そこで暮らす人々にはひと連なりの「歴史体験」として刻まれていく。またしても少女を米軍の性犯罪から守れなかった事実も、それを把握することさえ許されなかった事実も、基地反対運動で死者を出してしまった事実も、容易にはぬぐいきれないトラウマになる。沖縄の人々は、国は本当に「被害者に配慮した」のか、とこれからも問い続けるだろう。

【本稿は8月25日付毎日新聞掲載記事を一部加筆・修正しました】

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