沖縄は何にあらがってきたのか~主体なき民主主義に未来はあるのか

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【おすすめ3点】

■沖縄県知事 その人生と思想(野添文彬、新潮選書)

8人の歴代知事の足跡をたどり、「保革対立」では見えない深層を描く

■生きた労働への闘い 沖縄共同体の限界を問う(ウェンディ・マツムラ著、増渕あさ子・古波藏契・森亜紀子訳、法政大学出版局)

琉球処分以降の沖縄で社会変動の波に主体的に向き合った人々の軌跡を論考

■ポスト島ぐるみの沖縄戦後史(古波藏契、有志舎)

島ぐるみ闘争の熱狂が生まれた背景と、その後、失われた要因を探る


国の全面勝訴となった辺野古代執行訴訟。沖縄県側の主張を阻んだ壁は何だったのか。突き詰めれば、「日米安保の重要性」に勝る価値やメリットはこの国にはない、という政府の断固たる意思だったように感じられる。沖縄側は「反安保」や「反米」を唱えたのではない。だが国民の一定層にはそう映り、沖縄に対する忌避感を強めた面さえなかったか。本質は制度よりも人々の内面にある。在日米軍の運用に関して主体性を放棄し続ける統治のゆがみを、「よそごと」で済ませる社会に自律的な民主主義は機能するのだろうか。

沖縄国際大の野添文彬准教授は『沖縄県知事』で歴代知事の「苦渋」の核心をあぶりだす。基地政策は国の専権事項と割り切り、政府と協調すれば万事円滑に進むのか。事はそう単純ではない。それでは割り切れない、という民意も包摂できなければ、沖縄の自治は機能しない。

国にあらがっても「地元」の勝ち目は薄い。それでも沖縄内部には「抵抗のマグマ」がくすぶり続ける。では、沖縄は何にあらがってきたのか。その源泉を近代史から掘り起こしたのが、ウェンディ・マツムラ著『生きた労働への闘い』だ。

ユニークなのは沖縄を近代社会に「改良」しようと奮闘した統治者や地元エリートの評価にとどまらず、彼らの構想にさまざまな形で拒絶を試み、「敗北した」とされる側にスポットを当てた点だ。工業化への移行に抵抗した農民や女性職工の内面に迫り、「後進的」と排除された者たちの闘いの中にこそ、人間の本源的な営みが隠されていることを明示する。同時に、旧支配層を潤す納税を拒んだ人頭税廃止運動の本質が「沖縄の近代化」という大きな物語に回収されることにも異を唱える。

損得勘定抜きで人々をつなぎ、行動へと駆り立てるのは働き、休み、遊ぶといった暮らしの身体的なリズムを破壊しようとするすべての人間や事柄への軽蔑であり、それは本来の自分であり続けるための「主体」を巡る闘いだった。その核にあるのが「生きた労働」という普遍的価値だ。

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