沖縄にとっての冷戦後
そして沖縄である。沖縄にとっての冷戦後は「平和の配当」への希求から始まった。冷戦に費やされていた物的、人的資源を平和目的に転用する。それが冷戦終結直後に世界的に語られた「平和の配当」であり、それをひときわ強く訴えたのが琉球大教授から県知事に就任した大田昌秀氏であった。
しかしアメリカは、冷戦後に米軍が撤退するのではないかという同盟国の不安を払拭しようと、アジア太平洋における米軍10万人体制の維持を打ち出す。それでは冷戦後においても沖縄の過重な基地負担は固定化されてしまう。そう危惧した大田知事が踏み切ったのが米軍基地使用に関する代理署名拒否であり、地主との契約が切れ、米軍基地が不法占拠化することを懸念した橋本龍太郎首相は、何とか流れを変えようと普天間基地返還という賭けに乗った。賭けというのは、代替施設が具体化しないままの返還発表だったからである。
返還合意発表時には既存の基地内の「ヘリポート」とされた代替施設が膨張し、辺野古新基地計画となって沖縄と政府、沖縄と本土との関係を揺るがしたのが沖縄にとっての冷戦後だった。
政府は年明けから大浦湾側の埋め立ても本格化させる構えだが、沖縄県と対立したままの工事強行がいかに異常なことであり、かつ沖縄の心情をどれだけ深く傷つけ、抉る行為なのか、政界全般が改めて認識すべきである。問題が長期化し、日常化する中でその辺りの感覚が麻痺しているのではないか。
この問題の本質は本来、「普天間基地の危険性の速やかな除去」にあるはずだが、いつの間にか現行計画の推進で対米関係を波立たせないことが目的にすり替わっている。果たしてトランプ新政権にその程度の弥縫策が通用するのだろうか。