「台湾有事キャンペーン」を相対化することの重要性

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台湾有事をめぐるアメリカ、日本、そして沖縄

 かつて、「アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく」と言われた。日本経済がまだ脆弱で、アメリカに経済的に依存していた時代のことである。最近の台湾有事をめぐる議論を見ていると、このずいぶんと昔のフレーズを思い出してしまう。それも、アメリカがくしゃみで日本が風邪なら、沖縄は肺炎になってしまいかねないと、沖縄の部分を付け足す形でだ。

米中関係に詳しい専門家は、アメリカでは頭の体操として台湾有事の話をしているのに、日本ではいつ台湾有事が起きるのかという議論になっていると指摘するが、それが沖縄では、先島諸島を中心に住民避難計画の具体化が重大事になっている。

もちろん、万が一にも有事が現実のものとなれば、最前線になりかねない沖縄で住民避難計画を議論し、検討することは必須の課題だろう。だが、くれぐれも注意が必要なのは、アメリカでは頭の体操として議論されていることが、日本本土での議論を介することで、沖縄ではよりいびつな形で凝縮され、住民避難計画を具体化すればするほど、台湾有事は必ず起きる、近日中にもおきると、有事の勃発が必至で既定路線だという硬直した発想に陥ってしまうことだ。政府や全国メディアなど「中央」での有事をめぐる議論に、沖縄が過剰に反応し、過剰に適応するのではなく、相対化して賢く接することが非常に重要だと思う。

国家存続の危機に直結するのは…

 全国レベルでの安全保障上の大きな動きといえば、先日の安全保障関連3文書の改定だろう。戦後の安全保障政策の大転換だと言われるが、岸田文雄首相はすでに5月にバイデン米大統領に「防衛費の相当な増額」を明言している。そのアメリカは同盟国の軍事力をこれまで以上に当てにする方針を打ち出している。だが、1950年代のアイゼンハワー大統領が、米ソ冷戦を戦うために最も重要なのは米国の財政を健全に維持することだと強調したように、米国には財政の健全性と安全保障をセットで捉える発想がある。翻って日本はどうか。

今日の日本にとって、国家存続の危機に直結するのは財政破綻、急激な少子高齢化、そして阪神淡路以降に頻発する大震災だろう。今後も予想される大震災後の復興といった「有事」のために平時には財政の健全化に努力するのが政治の「常道」だが、今の政治はタガが外れた状態だと言わざるを得ない。

ずらりと並ぶ新装備のメニューには、自衛隊の有力OBも「今の自衛隊の身の丈を超えている」と憂慮する。本当に必要な装備を積み上げたというより、政治レベルの半ば思い付きで出来上がったパッケージなのだろう。

台湾有事にしても、問題は台湾海峡の安定維持だということを間違えてはならない。有事対応や強硬策を語る政治家は多いが、緊張緩和と安定維持に尽力しようという真っ当な使命感を持つ政治指導者はいないものか。岸田政権が大々的な防衛力増強を掲げた背景には、安全保障という批判の難しい「錦の御旗」を掲げることで、政治の主導権を取り戻そうという政局絡みの思惑もあるように見えてしまう。そして関連官庁からすれば、ウクライナ戦争で国民の危機感が高まっているこの機会なら、従来であれば難しかった予算の大増額を厳しい精査を経ずに手にすることができる。

今回の防衛力の大増強が東アジアにおける軍拡競争の引き金になりかねないという指摘に対しては、そもそも近年の中国が大軍拡を進めてきたことが問題だという当然の反論もある。しかし考えておかねばならないのは、巨額の財政赤字と低成長にあえぐ日本にとって、軍拡競争は圧倒的に不利な土俵だという厳しい現実である。上述のように同盟国を当てにする方針のアメリカから、ウクライナや中東で手一杯なので台湾有事での対応は日本が主役で頑張ってほしいと言われたら、「分かりました」と二つ返事で引き受けるのだろうか。

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