ひろゆき氏への非難を超えて―今こそヤマトが変わるとき

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辺野古の座り込みを嘲笑するひろゆき氏の発言が大きな非難を招いている。彼のAbema TVでの発言も本当に酷く、あのような番組を沖縄の方々に見せてしまったことが心底申し訳なかった。

ひろゆき氏は、日数のカウント方法の揚げ足を取っていたが、座り込む方々は日数の大きさを競っているわけではない。あの日数は、県民投票・選挙・世論調査で再三辺野古新基地建設反対の民意が示されても一顧だにしないヤマトが沖縄を無視している日数を示している。ヤマトがあの数が本当の意味で「0日」にするよう努力すべきだと呼び掛けているボードの真意を汲み取ろうとしない時点で高慢だ。

そもそも、ヤマトが沖縄を差別・搾取する構造はつい最近始まった訳ではない。薩摩の琉球侵攻・明治政府による琉球併合・沖縄戦・米軍占領を経て、今日の過剰な軍事負担まで、数百年と続く問題だ。「3000日」という数字すら、小さく見積もりすぎである。

沖縄の方々は、軍・基地の存在のせいで日々平和的生存権を侵害されてしまう。事件事故は後を絶たず、自然破壊・水源地汚染が起こされ、騒音や部品落下の不安から自由に日常を送れない。「辺野古にいないからヤマトが沖縄に強いる不条理に怒っていない」なんて、絶対に考えてはいけないと思う。

ただ、Abema TVを見て、「ヤマトンチュはひろゆき氏や彼に同調する人を叩くだけに終始して良いのか?」と考え込んでしまった。ひろゆき氏は、自分がヤマトの多数を代表していると度々念押しし、「沖縄の問題は日本の問題なのに、日本の多数派に伝わっていない」とまで言っていた。「だから沖縄の伝え方が悪い」と言うのは話にならないが、ヤマトンチュは彼のような主張が出た現実に真摯に向き合うべきだ。あの発言は、沖縄の方々が長年声を上げ続けているのに向き合いきれなかったヤマトの運動体の手落ちを指摘しているからだ。

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