ひろゆき氏への非難を超えて―今こそヤマトが変わるとき

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今ヤマトンチュがすべきことは、ひろゆき氏の発言で露呈した自分たちの運動の不十分を真摯に反省し、沖縄とヤマトとの非対称を解決するために知恵を絞ることだと思う。ひろゆき氏や、彼に同調する人から投げ掛けられた言葉は、ヤマトの運動体の自己改善を促しているのだと捉え直したい。

今日までひろゆき氏が論客として持ち上げられていたことを考えれば、彼の主張に賛同する人もいるのだろう。そのような人にも、沖縄に過剰な負担を押しつけるヤマトの問題を考えて貰えるよう促す言葉を探したい。ひろゆき氏の発言については毅然と非難するべきだが、それだけで留まるわけにはいかない。彼の発言が悔しければ、「ヤマトはこれだけ考えている」と彼に反論できるようにならねばならない。変わるべきは私たち、ヤマトンチュの方だ。

ひろゆき氏のような判りやすい敵を非難するのだけに集中し、自分たちが日常で沖縄のことを考え発信する努力を始めない限り、沖縄のことを自分事には出来ない。自分たちが変わる努力をせず、沖縄の方々の怒りに便乗するのは卑怯だ。オンラインで人を非難する空中戦だけでは疲れるし、それよりは、沖縄のことを自分事として考える人を増やす方法を模索する方が希望が持てる。ここ数日、激しい言葉の応酬が続いたが、少し落ち着き、身内以外にも届く柔らかい言葉で運動を作り直すべきではないだろうか。

ただ、「ひろゆき氏の発言で沖縄に関心を持つ人が増えたから良かった」とは絶対に言ってはならない。そんな論が通れば、「人種差別の暴力事件は、結果的に差別問題を可視化したから良かった」なんてことになってしまう。そもそも、ひろゆき氏の発言以前に、沖縄のことを考えるべき機会は数多あった。今になってようやく考え出した、という方がおかしい。無知の罪深さを認識するところから、ヤマトンチュの運動を作り上げていきたい。アメリカにいる身で出来ることは本当に少ないが、沖縄のことや、軍拡のことを報じるニュースをシェアしたり、地元の運動体にいる人たちに逐一メッセージを送ったりするなど、自分の出来ることをやろうと思う。

最後に一言。あのような番組を流したメディアには、真剣に反省して欲しい。沖縄のことを日本全国で考えるためには、もっと別の番組作りが出来たはずだ。あんな番組、絶対に流すべきではなかった。

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