具志堅隆松さんと迎える6・23 (3) 戦没者のご遺骨が残るガマを巡る

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平和創造の森公園から歩いてきた道を外れ、いよいよジャングルの中に入る。クワズイモやガジュマルといった亜熱帯林ならではの植物や、都会生活では決して見ることのない大きなクモが視界を埋める(他にも様々な珍しい動植物を見たのだが、いかんせん名前もわからず、うまく書き切れない。自分の知識と表現力の欠如が悔しい)。虹色に輝く昆虫(コガネムシかカメムシか、自信がない)に目を取られていると、ツタに体を絡め取られそうになる。湿度はますます上がり、服は汗を吸って、水を絞れそうなくらいだ。沖縄では既に蝉が鳴き始めており、どこからか三線の音も聞こえてくる(近くの集落で流している音楽が聞こえてきたのだろうか)。視覚・聴覚に非日常的な情報が次々飛び込んでくるが、気を取られていると足下の岩に張り付いた苔で足を滑らせそうになる。

このジャングルは沖縄戦中鉄の暴風や火炎放射に曝されたはずだが、目の前に広がる豊かな自然は全て戦後のものなのだろうか。沖縄戦中は、どんなジャングルだったのだろう。地上戦によってどれほどの動植物の命が奪われたことだろう。目の前で生きている動植物は、凄惨な沖縄戦の後奇跡的に復活した命だ。それだけでも、この自然を守りたいと思う立派な理由になると思う。

ジャングルに入って5分少し歩くと、最初のガマに到着。琉球石灰岩の岸壁にぽっかり穴が開いている。不慣れな私は急斜面の岩を登り、垂れ下がるガジュマルの気根を避けながら穴に身をねじ込むので一苦労だが、戦時中人々が身を隠すには絶好の場所だっただろう。穴の中は幅1m少し、深さは数メートルありそうな縦穴で、案外風通しも良い。具志堅さんによれば、この程度の大きさのガマなら、小さな部隊一つ分くらい(10人少し)は入れるそうだ。今回は報道陣の撮影の都合もあって4人ずつに分けて入ったが、確かに限界まで身を寄せ合えば、もっと多くの人が入れるように思う。

全員がガマに入ると、早速具志堅さんはご遺骨を見せてくれた。具志堅さんのライトの先に、縦穴の斜面にそうような形で、原形を留めた大腿骨2本・上腕骨・肩甲骨が見える。沖縄戦戦没者のご遺骨の多くは粉砕された状態で見つかると言われるが、このご遺骨は相当な大きさで、素人目にもはっきりと骨だと判る。DNA鑑定の対象になる可能性も高そうだ。骨の大きさからして成人男性と見られるが、軍服のボタンのような兵隊の遺留品がまだ見つかっていないので、兵隊だったかどうかは判らない。この大きな骨より下、岩の隙間のずっと奥にも小さなご遺骨がある。こちらは焼かれた痕があり、このガマが火炎放射を受けたことを窺わせる。翌日改めてこのガマに入った際は、砲弾の断片も見つかった。ガマに隠れていても砲弾を浴びる。「鉄の暴風」から完全に逃れられる場所なんてなかったのだろう。

このガマには反対側にも穴があり、戦後そこから腐葉土が流れ込んだ。その腐葉土を取り除き、隙間の最奥部まで丹念に探せば、もっと多くのご遺骨が見つかるかも知れない。同時に遺留品が見つかれば、そのガマにいたのがどのような人か、もっと判ってくると思う。

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