具志堅隆松さんと迎える6・23 (3) 戦没者のご遺骨が残るガマを巡る

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このガマのすぐ隣にも別のガマがある。こちらは二つの大きな岩の間にある細い隙間が入口で、腹ばいにならないと入れない。しかし、中に入ると小さなドームのような空間が広がり、具志堅さんによれば、このガマも小さな部隊一つ分が入るのに十分な大きさだという。ここからは、頭蓋骨(血管の痕がくっきり見える)・顎の骨・腓骨(くるぶしの骨)・右の小指の中手骨などの断片(これらにも焼かれた痕があった)の他、下の小臼歯が見つかった。この歯は摩耗具合から老齢の人(年齢的に軍隊にいたとは考えられない)のものと見られ、このガマには住民が隠れていたと判る。

先ほどのガマにあるご遺骨とは違い、細かく砕けた骨は、周りの石と区別がつきにくい。頭蓋骨はまだ判りやすいが、その他の部位の骨のかけらは、見ただけではどの部位の骨なのか全く判らない。手触りや重さで判るかと思いきや、水分の含み方や火炎放射の熱の浴び方によって、同じ部位の骨でも持った感じが大きく変わる。火炎放射で焼けて黒くなった骨は竹のような手触りで、素人なら骨だと気づかず放置してしまいそうだ。具志堅さんは断片の形からその骨の全体像や大きさ、断面の半径などを推定し、どの部位の骨か見極めているとのことだ。

そもそも何故この骨は砕けたのだろうか。手榴弾でも投げ入れられたのだろうか。または、自ら手榴弾を使って命を絶った人がいたのだろうか。岸壁に体の部分が張り付いていれば手榴弾が使われた可能性が高いとのことだが(過去には岸壁に金歯が張り付いていたこともあったそう)、このガマではそうした証拠を見つけられなかった。

ご遺骨と一緒に遺品も見つかった。住民のものと見られる陶器と、日本兵のガスマスクのバックル、そして軍服のボタンだ。このガマは軍民両方に使われていたようだが、住民と兵隊が同時に亡くなったのかは判らない。兵隊が所持品を残して別の場所に向かったことも考えられるからだ。「戦跡を見て沖縄戦の実相を学ぶ」と言うのは簡単だが、いざ状況証拠から戦没者に何が起きたかを推察するのは雲を掴むような営為だ。ただ確実に言えるのは、このガマで暮らし、攻撃を受け、命を奪われた人がいたということ、その中には沖縄の住民がいたと言うことだ。

二番目の壕を後にし、ジャングルの入口方面に戻る。この日入った二つのガマは、具志堅さんが3週間ほど前に見つけたものだという。具志堅さんは、自分が兵隊ならどこに潜もうと思うか、自分が住民ならどこに隠れようと思うか、などを想像しながらガマを探すそうだが、そう考えながら改めて周囲を見渡すと、岩の隙間など人が入れそうな場所が次々見えてくる。具志堅さんも歩きながら、「ここも探してみたい」と指さされた場所が数カ所あった。ガマの入口付近にもご遺骨がある可能性が高いという。入口で戦闘があったり、ガマから出た人が攻撃を受けたりする場合があるからだ。骨が地表に残され、まだ土を被らないうちに雨などで流されれば、そうした骨が岩のくぼみや道の端の低くなった場所に溜まっている可能性もある。沖縄戦中、周囲の人が息絶えた人を埋葬した場合も考えられる。私たちが歩いている道の下にもご遺骨があるかも知れない。

「南部全体にご遺骨があると思えば良い」と具志堅さんは言う。今日歩いたような未開発緑地帯は、南部の中でも特にご遺骨が残された場所だ。何十年も遺骨収集に尽力された具志堅さんでさえ、まだ入ったことのない未開発緑地帯が多くある。今回訪れた場所も歩いて調査しただけで、本格的に土を掘っての収骨作業は出来ていないという。未開発緑地帯にはご遺骨が残されているという事実がある一方、ご遺骨がどこにどれだけあるか現状調査すら十分に出来ていないのが現状だ。だからこそ、まず未開発緑地帯を保全することが最重要だという具志堅さんの考えには納得させられる。

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