ジャングル入口に戻って最後のガマへ。こちらは最初の二つと違い、平たい岩の陰だ。具志堅さんはこの場所を最初の二つのガマより少し前に見つけたそうだが、その時は地面の表面にご遺骨が残されていたという。ご遺骨と共に、銃弾薬莢・軍靴のかかとの部品なども見つかった。この岩の手前側には弾よけになりそうな岩もあった。この場所には日本兵が潜み、敵を撃つ機を窺っていたのだろうか。
ちなみに今回訪れた山城丘陵では、朝鮮人軍属で構成された「特設水上勤務(水勤隊)第102中隊」が最期を迎えた場所だ。フィールドワークで最後に訪れたガマは、具志堅さんが、その水勤隊で曹長を務めた方の孫を案内し、慰霊した場所である(その詳細は、沖縄在住の毎日新聞客員編集委員・藤原健さんの記事「沖縄 交差するまなざし」を参照)。水勤隊がどのガマにいたかまでは把握しきれないにしても、山城地域で見つかったご遺骨の中に朝鮮半島出身者も含まれる可能性があるというのは事実だ。具志堅さんは、朝鮮半島にいるご遺族にも遺骨収集・慰霊に来て欲しいと言う。戦没者のご遺骨が残る場所を残すことは、沖縄だけでなく、日本中・世界中のご遺族にとって意義深いことなのだ。世界中にご遺骨の帰りを待ち望む遺族がいることを考えると、仮に経済的利益が掛かっているとしても、簡単に未開発緑地帯の開発を認めてはいけないだろう。
フィールドワークを締めくくるにあたり、具志堅さんは報道陣に「未開発緑地帯にはまだ遺骨があるのだと言うことを伝えて欲しい」と呼び掛けられた。未開発緑地帯の現状を周知させ、遺骨のある場所の開発に対する県民の反対世論を高めることで、業者が自ら開発を諦め土地を県に売却するくらいにしたいという。
業者は「商品として出荷する琉球石灰岩には遺骨は含まれない」という。しかし、そもそもガマは琉球石灰岩に雨水が染み込んで作られた自然洞窟だ。そのガマの中に遺骨があるのだから、琉球石灰岩を砕いて搬出すれば、当然遺骨を傷つけることになる。業者が、今日私たちがしたように、岩の隙間一つ一つを調べて遺骨の有無を確認するとも思えない。
ただ、「業者の主張は間違えていますよね」と私が念押しすると、具志堅さんは「そういう技術論の話にしたくない」と返答された。具志堅さんにとって、出荷される土砂や岩石に物理的にご遺骨が含まれるかどうかは本質的な問題ではない。戦没者のご遺骨がある場所を開発のために使うということ自体が人道上の問題なのだ。
今回は遺骨収容が目的ではなかったので、ご遺骨は現場に残してきた。具志堅さんはどの骨がガマのどのあたりから出たのか大まかに記憶されているそうで、私たちにご遺骨を見せた後、一つ一つ丁寧に元あった場所に戻されていた。その記憶力にも驚嘆するばかりだが、ご遺骨や戦跡への思いが強いからこそ発揮される記憶力なのだと思う。具志堅さんの熱い思いに押されてか、フィールドワークに参加した報道陣は急いで帰り、早速記事や番組にしてくれた(琉球新報「『戦没者を忘却してはならない』 ガマフヤー具志堅さん、遺骨などを確認 沖縄・糸満、山城丘陵」、琉球新報「遺骨収集、身元特定の作業が難航 収集活動の後継者も不足 具志堅さん『人材育成を』」、沖縄タイムス「100メートル圏内で遺骨続々 火炎放射器で焼かれた可能性も 収集ボランティア『今もあちこちに沖縄戦の痕跡』」、沖縄テレビ「未開発の緑地帯の地中には今も多くの遺骨が」)。ただ、具志堅さんは、沖縄県内だけでなく、全国に遺骨を巡る状況を周知させたいとの考えだ。「国民が、政府がやろうとしていることを看過するなら、政府と同罪になる」と具志堅さんは言葉を強める。まだご遺骨が残っている場所が壊されようとしている現状にどう応答するか。それは、戦没者に対する全国の日本人の態度が問われる問題なのだ。