ひろゆき氏への非難を超えて―今こそヤマトが変わるとき

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ひろゆき氏や、彼を持ち上げるメディアの側は、あのような主張がヤマトの大多数に受けるという自信があったのだと思う。ひろゆき氏の笑みや自信は、沖縄の声に向き合わないヤマトの雰囲気に支えられているのではないか。「あなたは沖縄の基地のことを、ヤマトの大多数に伝えられていないでしょ?」とひろゆきに言われれば、そうだとしか言いようがない。

彼のような主張を今日まで許し、あのような番組を流させてしまったのは、ひとえにヤマトの手落ちだ。あの発言に心底怒りを覚えたが、この怒りをひろゆき氏に投げ返すだけでは、ヤマトの沖縄無視という根本的な問題を変えられない。

遺骨土砂問題の運動を始めばかりの昨年春には、市民派を名乗る地方議員の方にさえ、「沖縄のことは市民生活から遠い」と言われた。国政選挙の時でさえ、沖縄の基地について沖縄県外で語られることは稀で、日常で沖縄のことを考えられる市民学習会なども足りていない。そのような手落ちの積み重ねが、ひろゆき氏の発言を生んだのだと思う。

本来対峙すべき相手は、沖縄の民意を無視する国政だ。ヤマトの運動体がひろゆき氏を叩くのに体力を奪われては、政府の思う壺である。

今や問題は辺野古新基地建設だけに留まらず、自衛隊による琉球弧の軍事要塞化のせいで、沖縄戦を繰り返さんばかりの動きが進められている。例えば陸上自衛隊水陸機動団は離島奪還を想定した訓練を行ったと報じられた。離島奪還ということは、既に島が戦場にされたことを前提にしている。軍拡一辺倒の政策により、琉球弧の島々が再び戦場にされようとしている現実は、ヤマトの運動体の中でも十分に知られていない。

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