肥大化する「安全保障の論理」と沖縄

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「新しい戦前」が意味することは

屈指の長寿番組、「徹子の部屋」に出演したタレントのタモリが黒柳徹子に「来年はどんな年になるでしょうか」と問われ、「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えて話題を呼んだのは今から一年余り前の2022年末のことだった。

 「新しい戦前」が何を意味するのかについて、黒柳とタモリの間でそれ以上の会話はなかったが、「新しい戦前」とは、必ずしも戦争が起きることを予言しているのではなく、戦争が起きることを「十分にありうること」として人々が捉え、ものを考えるようになる。そういう世相の到来を告げているのだろう。

 「平和国家」は「経済大国」と並んで戦後日本の金看板だった。「戦争が十分にありうる」と人々が考え始めるようになったとすれば、やはり時代の大きな曲がり角というべきだろう。連日のように北朝鮮がミサイルやロケットを発射し、尖閣には中国の公船が押し寄せ、そして数年以内にも台湾有事が起きる可能性があると繰り返し報道されればそのような空気が世の中に広がることにも不思議はない。

 しかし、少し角度を変えてみれば、北朝鮮の核やミサイルは日本をターゲットにしているというよりは、現体制生き残りの拠り所として開発を進めているのであり、日朝国交正常化によって両国間に意思疎通のパイプを構築し、正常化に伴う経済支援もテコに北朝鮮の国際的な孤立を緩和するという考え方もあった(北朝鮮への圧力路線を掲げて政治的なスターとなった安倍晋三の台頭によってこの路線は実質的に潰えた。もちろん拉致問題をめぐる国内世論の北朝鮮への反発がその背後にある)。

 尖閣をめぐる緊張にしても野田佳彦政権時の国有化によって、結果として中国が付け入る隙を与えてしまったところがあり、台湾有事について中国の世論では日米が台湾独立をけしかけ、中国が武力介入せざるを得ない状況に引きずり込まれるというシナリオが危惧されているという。いずれも十分な意思疎通、コミュニケーションの不在という問題が浮かび上がってくる。

それは言うまでもなく第一義的には政治と外交が担うべき問題だが、ここ10年あまり、日本では近隣国に対して「断固とした姿勢」をとることが「強い外交」だと理解され、政治指導者による対話とコミュニケーションの努力が疎かになっていた。

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