「台湾有事キャンペーン」を相対化することの重要性

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ウクライナ、台湾、そしてアフガニスタン

 そもそも、台湾有事の可能性が今回、急にクローズアップされたのは、言うまでもなくロシアによるウクライナ侵攻がきっかけである。ウクライナと台湾を重ね合わせる議論は多いし、さらには、「今日のウクライナは明日の日本だ」といった極論も一部で見かける。

 だが、少し視野を広げれば、だいぶ異なる景色も見えてくる。昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻で世の関心からはすっかり霞んでしまったが、一昨年(2021年)の夏には「テロとの戦い」を掲げてアフガニスタンに軍事介入していたアメリカが、首都カブールからベトナム戦争末期を思い起こさせる大混乱を伴って撤退した。アメリカやロシアのような超大国(ロシアについては、軍事面を除けば超大国とは言い難いわけだが)であっても、アフガニスタンやウクライナを制圧し、安定的に統治するのはおよそ難しいというのが、この間の事態から引き出される教訓なのではないだろうか。

 中国による台湾への軍事侵攻のシナリオはよく耳にするが、仮に中国が台湾海峡を越えて首尾よく台湾全土を軍事的に制圧することができたとしても(それが成功する可能性も相当に疑わしいと思うが)、その後、台湾を安定的に統治することなど可能なのだろうか。台湾の意向を無視して無理やり軍事的に侵攻するような「中台統一」を強行したとして、民主主義が定着した台湾の人々がそれに従順に従うというのは、およそ想定しがたいシナリオではないだろうか。そして侵攻や制圧に失敗するようなことになれば、習近平指導部の威信は地に落ち、共産党の統治体制すら揺らぎかねない。

「正しくこわがる」ことの大切さ

 本稿は台湾有事を想定することが適切ではないとか、議論することに意味がないと言っているわけではない。中国が台湾への威嚇さらに強め、あるいは日米が手を出しづらい形で「台湾回収」に向けた巧妙な布石を打ってくるといったシナリオへの対応は練っておく必要があるのは間違いない。

ただ一方で、台湾有事をめぐる議論は、ただでさえ自己増殖しやすい安全保障の論理と結びついて、一種のキャンペーンとなりやすい。有事対応という「錦の御旗」で政局の主導権を握るとか、通常であれば通らないような大盤振る舞いの予算を獲得するとか、その種の思惑が紛れ込みやすいことには注意が必要だろう。

 中国は台湾近海に多数の軍用機を飛来させたり、ペロシ米下院議長の訪台をけん制して大規模な軍事演習を敢行したりといった行動をとる。しかし、それで台湾社会がパニックに陥るわけではなく、先日の統一地方選挙では蔡英文総統の与党・民主進歩党は大敗を喫した。中国の脅威を前に団結しようという訴えが「しらけ」を呼んで上滑りしたとも伝えられる。中国の軍事的圧力は感じる一方で、台湾の大学生の相当数はビジネスチャンスのある大陸での就職を希望するともいう。

 日本を含めた北東アジアは、朝鮮有事や台湾有事の可能性など冷戦期以来の安全保障上の発火点を抱える一方で、日本、中国、韓国、台湾と経済的に重要な国や地域がひしめく世界経済の成長センターでもある。先端技術をめぐって激しいつば競り合いを繰り広げる米中にしても、両国間の貿易額は増えている。安全保障上の緊張を緩和して管理し、経済的活力をさらに旺盛なものにするという基本的な方向性を見失ってはならない。

台湾有事への備えは確かに必要だが、それを大きな見取り図の中に位置付け、キャンペーンと化している部分を見抜き、賢く対応するという意味での「相対化」が、今後の沖縄にとって重要な課題となるだろう。

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