財政の制約と「人権の世紀」
ポスト冷戦後の多元化し、不透明感の漂う国際秩序は、特に日米欧などこれまで国際政治の主軸を成した国々からすれば不安を感じるものだろう。他方で戦後日本外交は「自由主義陣営の一員」と「アジアの一員」を二本柱とし、欧米先進国と発展途上国との橋渡しを自らの役割に位置付けてきた。近年は中国への対抗が強く意識されるあまり、橋渡し役という伝統は希薄になっているが、グローバル・サウスと呼ばれる国々が発言力を強める中、今一度、この日本外交の文脈は見直されてよい。
それに加えて、ポスト冷戦後の日本と沖縄を展望する際のキーワードとして、財政の制約と「人権の世紀」を挙げておきたい。財政の制約については言うまでもなかろう。安全保障面だけを見てもアメリカからの防衛費増強圧力と抑止力強化の必要性が強まる一方、財政のひっ迫という現実がある。その難問から近年の政界は目を背け、政治家の責任回避が結果として世の財務省叩きの風潮を招いている。そこで重要なのは貴重な財源の賢い使い方だろう。
総工費の目途も立たず、普天間基地の速やかな危険性の除去にもつながらない辺野古新基地は、合理性を欠く巨大プロジェクトの筆頭であり、財源の「賢い使い方」の試金石である。本来、その問題点を突くべき最大野党・立憲民主党の野田佳彦代表は辺野古新基地計画の推進を明言しているが、もう少し柔軟な発想を持った方がよい。
もう一つは「人権の世紀」である。ここまで冷戦後からポスト冷戦後へという国家間の関係を辿ってきたが、他方で21世紀は「人権の世紀」とも言われる。ジェンダー規範の主流化や黒人市民への不当な扱いを糾弾する「ブラック・ライブズ・マター」など、その顕著なあらわれだろう。