他者の傷みに気づくために−体験者や遺族の戦後史から考える−

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社会問題を考えるということは、<水位>を上げないためにできる一歩

体験者や遺族は筆者が文章を書いている今も、切実な声をどこかで届けているはずだ。では、彼らの声を受け取るために、私たちにできることは何かを考えてみたい。そこで、社会問題について考えるためのコミュニティをつくる重要性などを指摘している宮地尚子氏の環状島の<水位>を引いて考えてみようと思う。

出典 宮地尚子,2007,『環状島=トラウマの地政学』,みすず書房より

環状島自体は、上のような図を表しているが、端的に環状島のポイントを抑えるならば、島の陸地が広ければ広いほど、問題に対する関心は広がっていくがゆえに、<水位>が低い状態にあるときは、問題が社会的に広く共有されている状態を指す。しかし、「自己責任」の思想が強い社会、弱者を切り捨てる社会になればなるほど、海面が上昇し<水位>が上がる。徐々に陸地の面積は減少し、最終的に<水位>が上昇し島全体を海底に沈んでしまうと、社会の中でその問題が完全に忘却されてしまう、ということを説明する理論である。

 この理論は私たちの社会で起こる問題に対して、私たちは<水位>を上げないためにも、仲間と出会い信頼関係を築き連帯していく必要性を説いているのではないか。

他者の傷みに想像力を

アメリカの精神科医であるジュディス・ハーマンは、「すべての加害者が要求することは、傍観者は何もしないでくれということだけ」であると指摘する。

その言葉通り、国側は社会的に弱い立場に立たされている人の声を聴くことを拒否している。今回の南部土砂においては、遺族の声はノイズとして扱われ、ある種“いないもの”として扱われている。これまで概観してきたように、日本政府は被害者に都合の悪い事態が生じたら、自己責任論を振りかざし、かれらの補償を切り捨ててきた。被害者だけが犠牲の負担を強いられるという状況は、昨今問題視されている入管法の問題や、貧困問題などにも通じるところがあるだろう。そうした人々は社会の中でも隅へ隅へと追いやられ、終わりのない苦しみに絶え続けなければならないのだ。

かれらは<水位>が高い状況にあるが、その状況下を生きている人々が直接声を上げるのは難しい。難しいからこそ、そうした人々は必ず誰かの力を必要としている。こぼれ落ち続けている人の声に耳を傾け、よりよい社会を考えていくことが私たち聞き手には求められているのだ。

仮に社会問題の所在に気づいていながら、私たちが何も行動をしなければ、<水位>は上がり続け、最終的には国の思うままの状況になってしまうだろう。すなわち、被害者に精神的な苦痛を与え続け、緩慢な死へと向かわせるということである。だからこそ、他者の傷みに気づいた人々が、かれらの<水位>を下げるための方法を考えることが大切だ。

<水位>を下げるためにできることは数多くある。SNSで問題を発信すること、体験者や遺族が訴える声をしっかりと聞きとり記録に残していくこと、学習会を開くなど、その可能性は無限にある。私たち一人ひとりが意見を出し合い、<水位>を下げるためのアイデアを出し合うことが求められているのだ。

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