他者の傷みに気づくために−体験者や遺族の戦後史から考える−

この記事の執筆者

受忍を強いられている人々は、体験者だけなのか。遺族が届けた言葉に託された想い

ここまでの議論は、体験者の戦後というところに軸を置き、受忍論という視点から捉えてみたが、ここで1つの疑問が残るだろう。その疑問とは、沖縄戦で家族を亡くした遺族も戦争被害を強いられているのではないか、ということである。結論から先に言えば、戦争被害を強いられてきたのは、体験者だけではない。沖縄戦によって肉親を失った遺族、そしていまだにその遺骨すらも帰ってこず、十二分な弔いを行うことすら許されていない遺族も戦争被害者であるということである。

直接交渉で届けられた遺族の声

2021年4月21日、衆議院議員会館にて、ガマフヤーの具志堅隆松氏、北上田毅氏らが、遺骨の混じった南部土砂を使用して辺野古新基地建設を行おうとする国に対する交渉を行った。その直接交渉において、沖縄戦で祖父を亡くした旧日本軍の遺族の方による証言もあった。その方の祖父は「死んでこい」といわれ動員され、言葉通りの最期を遂げたにもかかわらず、現在も沖縄から「撤退」を許されていないと語った。つまり、戦後76年経過した現在も、祖父の遺骨を抱きしめることができない状態にあるのだ。

(こちらのアーカイブでご覧いただける。https://youtu.be/endRABhgnA4

 そうした人々が日本社会のどこかに息を潜めて生きていることを忘れてはいけないという警鐘をならしてくれたと思う。そうした声を誰も受け止めなければ、沖縄戦で亡くなったという事実が、社会の中から「忘却」されてしまうからだ。

 2016年には「戦没者遺骨収集推進法」が国によって制定された。よって、厚労省は遺骨収集を主体的に行う義務を背負っているが、その法律に逆行する形で、防衛省は遺骨の混じった土砂を使用した基地建設を行おうとしているのだ。遺族は、肉親が帰ってこない苦しみを76年間受忍してきたのだ。彼らの肉親は、沖縄戦に動員されたのは間違いない、しかし遺骨は帰ってこないのだ。ということは、今も戦死者の肉片や血の染み込んだ沖縄の土の下に眠っているのだ。

この記事の執筆者