戦死者の尊厳すらないがしろにする「日本」とは

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元自民党幹事長の古賀誠氏は父親の顔を覚えていない。父親は古賀氏が2歳のときに出征した。終戦後、自宅に白木の箱が届いた。中には父親がフィリピン・レイテ島で戦死したことを伝える紙片だけが入っていた。空っぽの箱。それが父親を連想させる幼少期の唯一の記憶となった。

古賀氏が初めてレイテ島を訪ねたのは2003年だ。それまで足を運ばなかったのは「顔も知らない父親の魂に、どのように声をかけてよいのかわからなかったから」だという。ためらっていた古賀氏の背中を押したのは、やはり幹事長経験者で盟友の野中広務氏だった。「肉親の慰霊に出かけたことがないとは、実にけしからん」。そう叱られたことで、重たい腰を上げた。

ジャングルの中を分け入り、保護者よろしくついてきた野中氏と一緒に、父親の部隊が全滅した場所までたどり着いた。即席の祭壇をつくり、線香を添えた。手を合わせていると突然、スコールに見舞われた。南国特有の激しい雨に打たれながら野中氏が言った。「息子に会うことができたおやじさんのうれし涙が降ってきたぞ」。このとき、生まれて初めて、父親を思って泣いた。連れて帰ろうと思った。遺骨代わりに小石を拾ってポケットの中に収めた。持ち帰った小石はいま、自宅の仏壇に祭られている。

だから-。古賀氏は訴えた。「小石ひとつ、砂粒ひとつにも、そこで斃(たお)れた人間の魂が宿っていると考えるのが、遺族の心情というものだ」

 私が久々に古賀氏と会ったのは今年6月23日。沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」だ。沖縄で問題となっている「遺骨土砂」について尋ねた際、返ってきたのがこのエピソードだった。

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