政府は沖縄戦の激戦地となった本島南部での土砂採取を検討している。名護市辺野古の米軍新基地建設に伴う埋め立て工事に用いるためだ。なんたる暴挙か。南部一帯には戦争の犠牲を強いられた多くの県民、兵士の骨や遺品が埋もれたままだ。現在も遺骨収集が進められている。そんな地の土砂を、よりによって基地建設に使用するというのだから、多くの県民が憤るのも当然だ。
「遺骨を持たない遺族の悲しみ。これは理屈じゃないんだ。そのことを理解できないのだとすれば、無神経に過ぎる」
レイテ島から小石を持ち帰るしかなかった古賀氏の言葉は、「本土防衛」の名の下で文字通りの捨て石にされた犠牲者の無念と遺族の悲しみに重なる。古賀氏は「沖縄の犠牲を忘れないため」、新型コロナウイルス禍以前は毎年、慰霊の日に沖縄を訪ねてきた。昨今、反戦への思い入れはますます強くなる。戦争放棄を誓った憲法の精神が軽んじられ、さらに、沖縄の人々を逆なでするような物言いばかりが目立つ政治の世界に、きなくさいものを感じているからだ。
野中氏は18年にこの世を去った。実は亡くなる半年ほど前、私は野中氏に会っている。沖縄の基地問題について尋ねるとこんな答えが返ってきた。
「沖縄に行くと罪人のような気持ちになる。だが、仕方あるまい。犠牲を強いてきたんですよ。沖縄県民の視線も声も受け止め、理解することが国の責任です」
1960年代前半、地元である京都出身者の戦没者慰霊塔を建設するため、初めて沖縄を訪ねた。その際「日本軍に身内を殺された」と訴える人と知り合ったことで、野中氏は「加害者としての日本」を意識したという。
古賀氏も野中氏も自民党を支えた大物議員だった。沖縄ばかりに基地負担を押し付けてきた政府に関わってきたのだから、彼らとて手のひらが真っ白とは言えまい。とはいえ、いま、ここまで沖縄に心を寄せる与党の政治家は、おそらくいない。
かつて沖縄保守の重鎮と言われ、琉球政府副主席を務めた瀬長浩氏の生前のメモを、保管先の沖縄国際大で見せてもらったことがある。そこには保守という立場から日本復帰を進めてきた自身への疑念が書かれていた。
「戦後の沖縄の地位そのものが差別に由来する」「私たちが復帰しようとする日本とは何か」
県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦の終結から76年。「慰霊の日」に、あらためて思った。戦死者の尊厳すらないがしろにする「日本」とは、いったい何なのか。
【本稿は共同通信配信「論考2021」からの転載です】