本土紙記者が、沖縄の地元紙記者をして見えてきたこと

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東京新聞・中日新聞の政治部の記者だが、2017年9月から今年2月までの半年間、沖縄の地元紙・琉球新報に出向し、翁長雄志県政などを担当した。期間中は米軍機の事故やトラブルが相次ぎ、名護市辺野古では護岸の埋め立て工事が着々と進められた。2月の名護市長選では、新基地反対を掲げる現職が敗れる結果となった。半年間暮らしてみて、見えてきた沖縄の現実があった。

相次ぐ米軍機の事故・トラブル

 

「ようやくじゃないんだよ。沖縄じゃいつもなんだよ」
沖縄に赴任して早々の昨年9月。大分空港に緊急着陸して駐機を続けていた米軍輸送機オスプレイが「ようやく飛び立ちました」とのテレビニュースに、琉球新報の同僚記者が発した一言に、思わずはっとさせられた。

12月に宜野湾市の米軍普天間飛行場近くにある普天間第二小学校の運動場に米軍ヘリの窓が落下した際は、当時の沖縄北方担当相の首里城視察を取材中だった。名護市沖でオスプレイが大破した事故から1年というタイミング。担当相は「私の担当は沖縄の振興だから」と話していた。視察は取りやめたが、危機感に欠ける本音が透けて見えた。

普天間第二小の事故の直前には、普天間飛行場近くの緑ケ丘保育園の屋根で米軍ヘリ部品の落下物が見つかった。これに対し、「自作自演ではないか」という誹謗(ひぼう)中傷の電話やメールが保育園に寄せられた。

翁長知事に面会した父母らを取材した際には、「ただただ平和な空を願っている」「小さな安全を確保することが、県全体の安心安全につながると信じている」と切々と語っていた。当たり前の願いを声に上げることすら、批判、あざけりの対象となる現実を、沖縄に来て見せつけられた。

この半年間、毎月のように米軍関係の事故やトラブルが相次いだ。ここまで数日、数週間ごとに頻発するというのは異常としか言えない。2004年の沖縄国際大への米軍ヘリ墜落時には、本土でのニュースの扱いは、アテネ五輪やプロ野球再編騒動のほうが上位だった。例えば沖縄とほぼ同じ大きさの東京で、米軍機の不時着や部品落下が、沖縄と同じ頻度で起こらない限り、自分の問題とは捉えられないのか。これまでも幾度となく繰り返されてきた問いが、何度も頭をよぎった。

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