「観光客帰れ!」と言われた話

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結局、少し慣れた「観光客」であるということ

数年後、毎日新聞の記者になった。この10年以上、学芸部の論壇担当という、「『識者に聞く』形ならば、なんでもテーマになる」仕事をしている。おかげで、沖縄の作家や学者に取材した記事を何回か書けてきた。

それでも、沖縄ネタは取材対象のワンノブゼムでしかない。那覇支局員の経験も、安保や基地を直接に取材したこともない。沖縄へ行った回数は、完全な観光含めて十数回。今も、少し慣れた「リピーター」にすぎない。

「沖縄と違って、かっこ悪い」ということ

青森支局員だった入社3年目、東京で、沖縄の基地問題でも発言する運動団体を取材した。私が「米軍三沢基地や使用済み核燃料再処理施設を抱える青森の立場は、沖縄に似ている」と話すと、「考えたこともなかった。沖縄と違って、青森はなんだか、かっこ悪いですしねえ」。東北出身の私としては、イラッとしなかったわけではないが、この人をあげつらいたいわけでもない。「沖縄はかっこいい」。私の気分を、鏡に映されたようにも感じた。

改めて、「(観光客や反戦活動家は)そんなに沖縄が好きなら、基地の一つも持って帰って欲しい」(『無意識の植民地主義』野村浩也)と言われれば、そんなに「沖縄が好き」かも怪しい。それでも、たまにはリゾートに泊まり、居心地の悪さを味わいたくはなる。

都合の良い「片思い」を続けること

沖縄の反基地運動などが紡いできた言葉に、本土の人間がそのまま乗っかるのは、醜悪な気がする。かといって、目をつむっているのも気分が悪く、「経済が基地に依存している」「金目当て」、はては「中国の陰謀」と都合の良い「真実」を聞けば、怒りを覚える。

「観光客!」と罵る声を意識しつつ、青い海や料理も楽しみつつ、たまに関係し続けて、20年が経った。これはこれで都合の良い「片思い」。こんな人間がもう少しいるだけでも、結果として、何かを少しはマシにする可能性はあると思いたい、とは思っているのだが。

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