「観光客帰れ!」と言われた話

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「観光客帰れ!」と、初体験の沖縄で言われた。といっても、20年以上前の話だが。以後、「観光客」のまま、ごく薄く、断続的に沖縄のことを考えては、たまに関連で仕事をしてきた。沖縄や安保の専門家ばかりの本サイト執筆陣で、私だけは完全な素人だ。素人がいるのも敷居を低くするにはよいかもしれない、とは思う。「軽く沖縄と関わってきた」標本にはなる。

20年前の「洗礼」のこと

1997年5月、京都の大学生だった私は、悪友に誘われ、初めて沖縄を訪れた。米兵少女暴行事件の2年後。一応、「沖縄反基地闘争連帯」を掲げる運動の、端っこに加えてもらうかたちでの旅行だった。

南部戦跡や「安保の見える丘」(現「道の駅かでな」付近)を見学、と定番の「反戦観光」を経て、嘉手納基地周辺のデモに参加した。そのデモで、私と一緒にいた学生の悪ノリに、県警機動隊が叫んだのが冒頭の一言である。

ぐうの音も出なかった。少なくとも私は、観光客以外の何者でもなかった。旅行前、付け焼き刃で沖縄関連の新書を数冊読んだ程度。那覇に着いた途端、本の内容は頭から飛んでいた。ひたすら、初めての青い海に感激し、初めての公設市場や大衆食堂を物珍しがっていた。
なのに、「改めてヤマトンチュである自分の抑圧的な立場を気づかされた」(棒)と、しおらしくなるほど素直ではなかった。反権力意識から機動隊に敵意を向けるほど素朴でなかったのは、まだ救いかもしれないが。いずれにせよ、この一言への明確な「答え」は、今もない。

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