歌手の宇多田ヒカルさんがツイッターで「歌姫ってなんなん」と素朴な疑問をつぶやいていた頃、沖縄では「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」が目前に迫っていた。ここ沖縄でも、「なんなん」と思うことがけっこうある。
2月24日の県民投票の約1週間前、投票所入場券が我が家に届いた。戦争を生き延びた94歳の祖父、日本国憲法が適用されない米軍統治下で育った両親、新聞記者になり基地問題の現場を取材することになった私の分。4枚並べて思ったのは、沖縄の歩みと家族の歩みの重なりだった。
県民投票当日、祖父は「おじい一人分で何か変わるかね。長いこと政治に振り回されて…」と言い、投票に行くのを渋った。当然行くものと思っていた私は戸惑った。この数年の主要な選挙で「辺野古新基地建設反対」の民意を何度示しても、日本政府の強行は止まらない。祖父はこの問題が浮上するずっと前から、沖縄の苦渋の歴史を生きてきた一人だ。そう思うのも無理はない。
でも「おじいは、戦争はいやだから」と言って、祖父は投票所へ向かった。「何度目の意志表示だろう」―投票箱に用紙を入れる祖父を見て、胸が締め付けられた。
ところが次の瞬間、祖父は顔を上げ、監督していた職員にニコッと笑い、さっそうと投票所を後にしたのだ。「この精神はいったいなんなん!」
祖父は多くを語らない。「国は沖縄のこと、なんとも思っていないんだろう」と言ったのを聞いたことがある。それでも諦めずに票を投じた、あのどこか誇らしげでユーモラスな表情を私はずっと忘れない。
結果は反対(約43万票)が賛成(約11万票)を大きく上回った。日米安保や国防といった政府の論理ではないところ、つまり家族の歴史や、守りたい暮らしや、これからの沖縄の姿を思って反対に◯を付けた人は多かったのではないだろうか。
こうした思いは、きっと沖縄以外の地にも共通してある。沖縄のこと、複雑そうで、あるいは距離があって、よく分からないという人も多いはず。でも、これはいつか日本のどこででも起きうる問題。よく分からないからこその、自由で素朴でユーモアを込めた疑問をどんどん政府に投げてもらえたら、と思っている。
「『辺野古が唯一の解決策』ってなんなーん?」
【本稿は月刊誌『いつでも元気』5月号巻頭エッセイを転載しました】