「アベノーマル」から「ニューノーマル」の時代に向けて

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民主国家・法治国家の危機

とどまるところを知らないこれらの違法・脱法問題に加えて、ここ数年の国会では「ご飯論法」という言葉も生まれるくらい、野党側の質問や追及に対して首相はじめ閣僚たちがまともな答弁をしないことが常態化し、国会が機能不全に陥っている。現政権の国会を軽視する姿勢は、国民を愚弄する姿勢に他ならない。

加えて、この政権下では記者会見が成立しない。鋭く切り込む記者が一部を除いてほとんどいないことも大問題だが、国会同様、聞かれた質問にまともに答えないことがこちらでも常態化している。あらかじめ決められた台本通りの首相会見が繰り返され、官房長官の定例会見でも国民の知る権利を軽視した姿勢が目立つ。記者たちがこの状況を変えようと本気で動いているようにもみえない。外国人記者からすると、まさに「不思議の国ニッポン」の光景だ。

民主国家の危機、法治国家の危機といえるような状況がこれだけ長く続いている事態を、国の緊急事態といわず何といえばいいのか。

しかし、コロナ禍をきっかけにこの長かったトンネルの先に少し希望の光が見えて来た。最新の毎日新聞の調査では、何があってもなかなか下がらなかった安倍内閣の支持率が27%にまで急落し、朝日新聞の調査でも29%にまで落ち込んだ。

国民もどんどん声を上げ始めている。森友問題に関しては、犠牲になった財務省近畿財務局職員だった赤木俊夫さんの妻雅子さんが立ち上がり、改竄の真相解明を求めて佐川元財務省理財局長と国を訴えた。頑なに再調査を拒む安倍首相や麻生財務大臣に対して、雅子さんは「この2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではない」と言い放っている。赤木雅子さんの勇気ある行動にはエールを送りたい。

検察庁法の問題については、ツイッターデモだけでなく、検事総長経験者などの検察OBたちが立ち上がって意見書を法務省に提出、またそれとは別に特捜部OBたちも法務省に意見書を提出した。

サクラ疑惑でも、662人の弁護士や学者たちが公職選挙法と政治資金規正法に違反した疑いで安倍首相と後援会幹部の計3人に対する告発状を東京地検に提出した。

過去にも一部の憲法学者たちが安倍首相を背任などで東京地検に告発しているが受理されていない。官邸の守護神といわれた黒川氏が去った後の検察の判断が注目される。

話題は少しずれるが、国によって程度の差はあっても、権力による監視社会が既に始まっている。テクノロジーの進化は、人類史上初めてあらゆる人の常時監視を可能にした。人権よりも国権が優先される中国などは、すでに監視国家のモデルのような国になっている。

ニューノーマルの世界では、感染防止を大義名分とした監視社会への移行が中国以外の国々でも本格化するかもしれない。もちろん日本も例外ではない。プライバシーと命のどちらを優先するかと問われれば、多くの人たちは命を優先するだろう。

「ニューノーマル」の時代に向けて

そんなニューノーマルの時代を迎える前に、日本社会で起きているアブノーマルが普通になってしまったような異常事態にきっちり歯止めを掛けて正常化しておかなければさらにとんでもないことになる。

平気でウソやごまかしを繰り返して国民を欺き、責任は官僚など他に転嫁しながら権力の座に居座り続けてきた今の政府を信頼することはできないし、このまま我々の人権や命を安心して委ねるわけにはいかない。

コロナ禍をきっかけに、多くの国民は政治の大切さ、特に政治リーダーの大切さに気が付いた。何も特別な人である必要はない。誠実に国民と向き合い、その命や仕事や財産を全力で守ってくれるリーダーを選ばないと、自分や家族の命や生活が一瞬にして脅かされるということが身に沁みたはずだ。自宅に届いた2枚のアベノマスクを実際に手に取ってみて、失笑と共に背筋が寒くなった人は少なくないだろう。

社会には信頼が大切だ。「ニューノーマル」を今よりも健全で明るい社会の代名詞にするためには、Wisdom of crowds(民衆の叡智)の力を発揮しなければならない。国民一人一人が主体性をもって考え行動するのが民主主義の原点だ。いつまでも異常事態に無関心でいたり目を背けていたりではいけない。

この機会に「コロナ断捨離」をしっかりとやって、ウイルスと共に、社会にはびこるウソ、隠蔽、改竄、責任転嫁、不誠実、有言不実行を一掃しよう。アブノーマルをノーマルに戻す勇気ある小さな行為のひとつひとつがニューノーマルの第一歩になるということを強く訴えかけておきたい。

【本稿は2020年5月31日公開の『現代ビジネス』原稿を加筆・再構成しました】

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