蠟燭に火を灯す

この記事の執筆者

20220509。

元山仁士郎さんがハンガーストライキをはじめた。

2019年も、

宜野湾市役所の前で沖縄県民投票の全権実地を求め

元山仁士郎さんは、食事を絶った。

それで結局、不参加を表明していたいくつかの市町村は

投票の選択肢を増やすなら

という条件付きで参加を表明し

「沖縄県民投票」となった。

「法的拘束力はない」

と日本政府は言っていた中で

60万5385人が

投票に行った。

有権者の40%近くの

43万4273人が

辺野古の基地建設に「反対」を表明した。

その翌日、辺野古のゲート前には

変わらず

工事を続けるトラックが延々と並んでいた。

元山仁士郎さんは言う。

「2022年5月15日で、沖縄は、「復帰50年」を迎える。

50年前から現在へ、沖縄は何が変わったのだろうか」

と。

そして

「沖縄の基地問題が「解決」されない限り、

沖縄にとっての「復帰」、

そして「戦後」は終わらない」

と。

わたしはできれば死にたい。

ずっと誰かの足を踏み続けて

自分だけが幸せでいる自分が嫌いだ。

けれど、わたしは死ぬことが怖い。

うまく研げなくて、でも泣きながら研いだ包丁が

自分の血で錆びていくのを想像すると嫌だ。

もっと楽に死にたい。

けれど、ネットで調べるのが怖くて

ひたすら左手の、動脈だと思われるところを

右手の爪で掻いた。

掻いて、掻いて、

赤くなって、白くなって、

血が出てホッとして、

泣いた。

自分にはなにもできない。

海を越えた地で起こる戦争を、

わたしは止めることができない。

誰もの暮らしを支えている海を埋め立てて

戦争のための基地の工事を

わたしは止めることができない。

その工事が嫌だ

と、今日も、この今も

食事を断っている元山仁士郎さんの横に

座りに行きたいけど

仕事の休みが全然とれなくて行けない。

できないことばっかりだ。

なにもできない自分は

生きている価値がない

と思って泣いたら、なんだかスッキリしてしまって

蝋燭にひとり、火を灯した。

三つ折りの布団を敷いて、

アラームが4:59になっていることを確認して、

わたしはただ蝋燭を見た。

そんなことを2日続けた。

3日目をする日の朝、

はっきりとわたしは

「愛だ」

と思った。

元山仁士郎さんは

抗議するために抗議していない

とわたしは思った。

元山仁士郎さんは

もっとなにかを好きになるために座っている

のかもしれないとわたしは思った。

知り合いが珠洲市長選に出ると聞いた。

今の市長は4選していて、5選目を目指している。

2006年に初当選、つまりわたしが小学一年生。

その時からずっと今の市長だった。

そういうものだと思っていた。

けれど、

わたしは選べるのだった。

何もできないわたしの選択でも

ただ生きているだけで

ちゃんと「1」票が

守られるのだった。

なんと幸せだろう。

では、元山仁士郎さんの「1」

は守られるのだろうか。

目的が達成されて、ハンストを終了して、ちょっとずつ体に食べ物をいれて

めでたく「復帰」50年を祝えるようになるのだろうか。

誰かが抱えるしんどさは

結局、

まわりまわって自分のしんどさにつながってくる

気がする。

だからわたしは好きになりたい。

自分がいる場所を、自分を、

好きになりたい。

そのために、

わたしはひとりで考えることをあきらめた。

今日も蝋燭に火を灯す。

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