「わたしはわたし」と書かれたチラシを部屋に貼っている。
『i-新聞記者』を観て以来、
I、わたし、という一人称単数に惹かれて
村上春樹の本も買って、得意の積読をしたり、
「主語を小さく」という堀潤さんの言葉に出会って感銘を受けたり。
あの人はこう言っている、この人はこう思うかな、っていうのは一旦置いて、
わたしは?
わたしはどう思い、どうしたいのか。
その視点をよく忘れちゃうから、忘れないように部屋に貼っている。
なにかしたい、なにかする自分になりたい
3月、具志堅隆松さんのハンストを受け、
なにかしたい、なにかする自分になりたい、と思って
自分が住んでいる珠洲の市議会に「『沖縄戦戦没者の遺骨を含む土砂を使用しないよう求める意見書』
の提出を求める請願書」を出すため体を動かしたのは3月12日だった。
請願書の請願者はわたしのほかに10人の市内在住者が加わってくださった。
ちょっと欲が出て、大変さも考えずに署名も集めることにした。
請願書提出には、紹介議員が必要。それがまず難関だ。なぜなら市議会議員との伝手はゼロ。
全く道がないので田舎の暗黙のルール、「まずは町内の人にご挨拶」を守って、
町内出の三盃三千三議員を尋ねた。
彼は自民党議員、4期。
本人は無理だと思うが、誰かを紹介してほしいと頼もうとしたら
「いいですよ」
まさかの彼本人がなってくれるという。
ここからは安心して署名集め。知り合いが少ないのに署名集め。
親の伝手を頼って、電話帳も「あ」から探して、仕事が休みになったら、
「運転くらいしか手伝いでけへんから」と言う母の安全運転で紙を配りまくった。
能登半島の先っぽを2周くらいした。
だけど、署名集めというのは本当に難しい。
私の応援ではなくて、紙の内容が伝わることが本意。
読んだけど署名はできない、も尊重したい。
迷い迷って落ち着いた方法は、ひたすら配って、反応を待つ。
もちろんその場で読んで署名してくれた人もいらしたし、
ほかにも朝の仕事前、うちの玄関に黙って置いてってくれた人、
「署名しかできなくてごめんなさい」とメールがあって、ご家族5人に加え、何枚も集めてくれた人、
仕事の合間に、集まった分を何度も持ってきてくれた人、
署名集めの記事を見て、新聞社を通して電話をし、尋ねてくれた人、
全く別のイベントの中で告知して集めてくれた人、
「気になっていて何かできることはないかと思っていた」と、快く書いてくれた人、
締め切り寸前には速達で郵送してくれた人や、夕方ギリギリまで集めてくれて何十枚も持ってきてくれた人、
書き切れないほど、いろいろな人が応えてくださった。
市外も県外も、境を超えて応えてくださった。
締め切りまでに市民185人を含む334人の方の署名が集まった。
請願書提出の日を決めるため、三盃議員に電話をしたのは5月30日。
電話に出た彼が言ったのは、やっぱり紹介議員にはなれないということだった。
周りの圧力があったのかも知れない。
ここまできて、まさかの展開。まあ、他の議員に繋げてくれるというからまだいいか。
でもなあ・・・。
沈んでいく気持ちを、署名集めの忙しさでなんとか拾う。
しかし数日後、議員と同世代だという私の父のおかげで最終的には紹介議員になってくれることとなった。
そうしてやってきた6月7日、請願書と署名を提出する日。
請願者4人で行った。北陸中日新聞記者が取材に来てくれた。