2017年は『サラダ記念日』刊行から30年という節目の年だ。30年前、瑞々しい相聞歌で日本中を席巻した俵万智は、その後も、歌人としての確かな実力を感じさせる『かぜのてのひら』(1991年)、少し危険な恋を描く『チョコレート革命』(1997年)、子育ての充実に満ちた『プーさんの鼻』(2005年)と、常に新たな魅力をもって読者を惹きつけてきた。そして現時点での彼女の最新歌集が2013年に刊行された『オレがマリオ』(文藝春秋)である。2011年、俵は東日本大震災をきっかけに石垣島に移住、2016年4月まで住んでいた(現在は宮崎県在住)。この歌集には石垣島にいた頃の歌も収録されている。
震災後の母子の時間を追体験
「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり
歌集の冒頭歌。2011年の東日本大震災を詠んだものである。震災時、俵は仕事で東京の新聞社にいたらしい。唐突な初句・二句のセリフと「あらがいがたく活気づく」という下句に臨場感がある。「活気づく」はのちに明らかになる東北地方の被害の大きさからすると不謹慎と捉える向きもあるかもしれないが、この語が地震発生当時の東京の雰囲気のある一面を捉えているであろうし、なにより「あらがいがたく」のもつ屈折感(2つの「が」が生み出す硬質な響きとあわせて)を見逃してはならないだろう。
さて、物騒がしいこの一首に押されて歌集を読み進めると、読者は震災後の母と子との時間を追体験することになる。
空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず
ゆきずりの人に貰いしゆでたまご子よ忘れるなそのゆでたまご
子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え
東京から息子のいる仙台へ戻った俵は、余震と原発事故を憂慮し、仙台から那覇へ、そして石垣島へと渡る。その過程の歌。一首目、「百円」を持っているのは子のほうであろう。右手に百円を握り、店内をめぐる子を想像してみる。食品の棚の前に来たが、あるはずの商品がない。おにぎりを取るはずだった左手は何もつかめずにいる。その空の左手を優しくとる母の姿。
三首目の初出は「歌壇」2011年9月号。発表時、大きな反響を呼んだ。母親のひたむきな姿勢に共感の声が上がる一方で、著名人がこのような歌を詠むことへの反発も少なからずあった。しかし、「逃げてゆく」ことへの賛否や歌の巧拙を越えて、ここには自分なりの方法で子を守ろうとする母の、むきだしの言葉の、圧倒的な力強さがある。
郵便局を中心にして少しずつ鮮明になるこの町の地図
ぷぷぷぷと頰ふくらます子に聞けば釣られて焦るフグのものまね
手で触れて食べごろを知るマンゴーの石垣島は果物の島
石垣島での生活を詠んだ歌である。「郵便局を中心にして」というのは実に生活感のある言葉だ。郵便局が重要なのは、歌人という俵の職業にもよるだろうが、なにより、故郷を島の外に持つ者としての感覚に根ざしている。まだ島に来たばかりの頃の、自分の来し方を、島の外の世界を恋う気持ちが感じられる。しかしどうやら島での生活は母子によくあっていたようだ。自然の中での時間を堪能する子。「ぷぷぷぷ」が楽しい。三首目は一見、何でもないように思えるが、そうではない。「マンゴーの」の「の」が、上句全体を「石垣島」にかかる序詞に一変させる。よく言われるように、俵万智の短歌は簡単そうに見え、誰にでも作れそうな気がするが、実は非常に技巧的なのである。この歌も短歌のレトリックをさり気なく用いた、心憎い一首。俵の歌の巧みさをよく表していると言えるだろう。