【書評】じんがねーらん ―俵万智『オレがマリオ』の沖縄―

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島外から来た者の目

 

沖縄のヒーロー琉神マブヤーは敵を倒さず「許す」と言えり

藁をとり拝めるごとく手をすればおばあの指から縄が生まれる

楽しげに鈴鳴るごとき響きかな「じんがねーらん」は銭がないこと

ストローがざくざく落ちてくるようだ島を濡らしてゆく通り雨

 

一首目、沖縄県民に愛されている「琉神マブヤー」。作者はこのヒーローに沖縄の人の優しさ、大らかさを重ねる。二首目、写実的な上句と幻想的な雰囲気を持つ下句。対照的なこれらの調和の妙。「拝めるごとく」から神への祈り、信仰心の強さが感じられる。何十年もの間、数えられないほど、祈りを捧げてきた老婆の手。先祖を大事にし、家族の健康を祈ってきた手。戦争や戦後の苦難を生きてきた手。様々な物語を秘めた手から作り出される縄は、神秘的ですらある。「縄」は沖縄の縁語と読んでも楽しい。

三首目、「じんがねーらん」という方言への注目。銭(じん)が無いよ(ねーらん)という意味である。「じん」はジングルベルを、「がね」は鐘、「らん」は爛々とした感じを連想させる。「じん/が/ねーらん」という意味で理解していては気付かない響きの楽しさがある一首。言葉の響きへの着目は俵短歌の真骨頂だ。四首目、南の島の雨の生命力が「ストローがざくざく落ちてくる」という比喩で見事に表現されている。

俵万智の繊細な感性と観察力、島の外から来た者としての目は、沖縄の人々が見過ごしてしまいそうなものをしっかりと捉え、歌にしている。

 

「方言札」のコントに笑いきれなくてウージ見ており内地人(ナイチャー)我は

汚染米を「おせんべい」と誤読して屈託のなき子は秋のなか

 

一首目、沖縄の重い歴史を題材にしたコントを見ながら、「ナイチャー」としての自分が強く意識される。楽しいコントのはずなのだが、他の沖縄の人達と一緒になって笑うことができない、笑ってはいけないように感じる「我」。「ナイチャー」である「我」は、今、沖縄人の聴衆よりもむしろ畑のウージ(サトウキビ)とのほうが心を通わせやすいのである。沖縄と本土の間の簡単には乗り越えられない一線を感じさせる。

汚染米の歌は、静かで、穏やかで、凄味のある一首。これまで俵があまり作らなかったいわゆる「社会詠」(社会問題を題材とした作品)や時事的なテーマを詠む「時事詠」が見られるようになったのも、この歌集の特徴である。もちろん、〈かすれゆく君の横顔「逢いたい」は逢えないという意味しか持たず〉〈遊園地 どこにも行けぬ乗り物を乗り継いでゆく春の一日〉といったような歌もあり、これまで私達を魅了してきた詠いぶりも顕在である。

様々な魅力を持つ俵万智の歌集『オレがマリオ』。その翌年(2014年)に刊行されたエッセイ集『旅の人、島の人』(ハモニカブックス)と共に味わいたい一冊だ。

  *本稿は「平成26年度名桜大学附属図書館報 ひろば」掲載の文章を大幅に加筆したものである。

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