なぜ基地返還は長期化するのか?【下】~韓国と沖縄における米軍再編から考える

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<「上」で指摘したように、龍山基地と普天間基地はダイナミックな米軍再編事業の一部となった。その過程で、基地返還の条件にその他の案件が合併し、返還を推進するよりむしろ長期化することになった。しかし、現在、両事例の進捗状況に大きな違いが見られる。龍山の代替施設はほぼ完成に近い。拡張されたハンフリーの完成度は16年4月末の時点で9割近くに達しており、18年8月の時点で米軍の第8陸軍司令部やその他の機関が龍山からの移転を終えている。2020年には移転が完了する見通しとなっている。他方、普天間基地の代替施設については、18年8月の時点では埋め立てる海域に護岸が設置されているが、土砂投入が延期されている>

 

龍山移転の長期化と反対運動の衰退

 

龍山代替施設の完成期日は、「上」で言及した拡張への反対運動だけでなく、建設工事の遅れ、韓米間のさらなる協議によって延期されてきた。再編に関する協議と同時並行で議論されていたのは、戦時作戦統制権(Wartime Operational Control: OPCON)移譲の問題である。朝鮮有事のOPCONは米軍側にあり、韓国軍は米軍司令部の指揮に入る。在韓米軍再編を協力的に進めた盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、有事における自国軍のOPCONの返還を求めた(平時のOPCONは韓国側に1994年に返還されている。Terrence Roehrig “South Korea: An Alliance in Transition” in Rebalancing U.S. Forces: Basing and Forward Presence in the Asia-Pacific. Naval Institute Press, 2014)。それが韓国軍に移譲される場合、米韓連合軍の統制を担うCFCの役割を見直す必要が生じる。韓米はOPCONの移譲の是非と時期に加えて、ハンフリーに移転される部隊のうちの一つであったCFCについても協議した。OPCONの移譲完了以降もCFCを維持することを確認したが、移譲時期については現時点で確定していない。

このような戦略的、技術的な問題に加え、前述したとおり市民の反対があったにもかかわらず拡張事業が進んだ背景には、基地を安定的に維持する組織化、韓国政府による利害関係者への補償と権力行使がある。
まず、移転事業を円滑に進めるための機関が設立された。盧泰愚政権下に設立された龍山事業団と調達本部施設部という二つの国防部傘下の部署は、国防施設本部として統合された。さらに、米国と韓国、そして韓国内の関係部署や自治体が連携して対策を講じる委員会やその実務を担う事業団が組織された。こうして、基地を将来にわたって安定的に維持するための体制が構築された。

さらに04年12月、「在韓米軍基地移転によるピョンテク市などの支援に関する特別法」(ピョンテク支援特別法)という10年の時限立法を制定した。これは、基地拡張事業とピョンテク市の開発発展を支援する事業を並行して円滑に実施すべく、施工の前に必要となる各種許認可を免除するものであった。ピョンテク支援特別法により、05年末には政府は必要な敷地の買収を完了した。06年の4月から6月にかけて、政府側と反対運動側で激しい衝突が発生した。韓国国防部は、基地の移転及び拡張を「公益事業」と位置付け、警察や軍の協力を得て土地調査を実行した(Moon Seungsook “Protesting the Expansion of US Military Bases in Pyeongtaek: A Local Movement in South Korea” South Atlantic Quarterly Vol. 111, No. 4, 2012)。農地で座り込みが続いているなか、国防部は、収用区域をフェンスで区切り、灌漑用水路にコンクリートを流入した。反対運動を行う約1,200人の市民に対して、有刺鉄線を敷設する2,800人の工兵隊及び歩兵部隊と12,000人の機動隊が動員された。機動隊は住民を退去させ、反対運動の拠点となっていた小学校を破壊した。一連の衝突で、警察、兵士、運動家ら約120人が怪我を負い、524人の学生や運動家が拘束された(Andrew Yeo, Activists, Alliances, and Anti-U.S. Bases Protests, Cambridge University Press, 2011)。

沖縄に対する補償制度を参考

 

強制的な政策に直面し、最後まで抵抗していた60人の住民は政府の妥協案を受け入れざるを得なくなった。韓国政府は、ピョンテク支援特別法に基づき、移住対象者に対して住環境整備、就労支援といった補償を提供した。また、ピョンテク市の発展計画として外国投資の誘致、工場の新・増設の促進、外国教育機関の設立を盛り込んだ(韓国国防部在韓米軍基地移転事業団「ピョンテク支援特別法 沿革」2010年)。08年度の開発事業に係る投資額は3兆1,428億ウォンで、関係省庁及び地方自治体が、福利厚生・医療施設の設置やインフラ整備、観光地整備等、多岐にわたる事業を計画した。

このピョンテク支援特別法は、沖縄に対する日本政府の補償制度を参考にした。韓国政府はこれまで基地周辺地域に対する特別な施策を整備してこなかった。移転の延期により、ピョンテク支援特別法の有効期間を延長するための法改正が必要となった。そこで、支援体制の拡充を検討すべく、ピョンテク市韓米協力事業団は委託研究を行い、11年8月に「ピョンテク市支援特別法と沖縄振興特別法の比較研究」として公表した(ピョンテク市韓米協力事業団、「ピョンテク市支援特別法と沖縄振興特別法の比較研究」2011年)。研究を実施した韓京大学産学協力団はその二つの法律の目的、財源の運営、意思決定機構などにおける共通点及び相違点を提示した。1971年の沖縄振興開発特別措置法と2002年の沖縄振興特別措置法を分析し、地域に特化した開発を支援する法律体系として進化していると評価した。ピョンテクと沖縄は地理的条件や米軍基地の歴史的過程が異なることに留意した上で、「基地の造成と地域開発の共存的効果を両立するという政策手段は類似」していることを指摘し、ピョンテク市の自律的発展に資する法整備を促した。

このように、龍山基地移転を契機に、米軍基地の住民に対する負担を和らげ、基地を維持していくための国内制度が構築されてきた。韓米の政府間、軍間だけでなく、中央政府と地方政府間、軍と地方政府間の連携を促進する新たな行政機関が設置された。移転事業によって損害を被る関係者と自治体を支援する法律を整備し実施してきた。これにより、移転への反発を鎮め、代替施設の建設を進めた。

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