なぜ基地返還は長期化するのか?【上】~韓国と沖縄における米軍再編から考える

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<ソウルの龍山基地と沖縄の普天間基地は、1990年代に返還が合意されたが未だに実現していない。その共通点は、基地返還がグローバルな米軍再編に組み込まれ、その他の基地や部隊の移転と共にパッケージ化されたことである。再編に伴う技術的な問題のほか、移転先での反対運動も長期化の一因となった。一方、両基地の移転先となる施設の整備状況は異なる。韓国では、これまでなされてこなかった、移転の影響を受ける住民や自治体に対する支援策が講じられ、受入施設の建設が進む。しかし、沖縄には類似の体制があるにもかかわらず、市民や政治家が県内移設に抵抗している。長期化の背景として、移転計画の延期を許してきた米国側の認識や利害にも目を向ける必要がある。>

移転進捗の差はなぜ生じるのか

 

米海兵隊普天間基地の返還合意から22年が経過した。その代替施設を巡って、日本、沖縄、米国の間で合意点が見つからず、普天間基地は運用され続けている。一方、韓国にも返還合意が長年にわたって実現していない基地がある。ソウル市に位置する米陸軍龍山(ヨンサン)基地である。1990年に龍山基地の返還を決めた覚書が韓米で取り交わされ、その後、国内に移転することが確認された。この二つの事例は、これまでの海外米軍基地の動向としては珍しい現象と言える。過去の事例を見てみると、基地の受入国が米国に対して協力的か反抗的かにかかわらず、数年の交渉を通じて基地の返還が合意され、実行されている(ケント・カルダー『米軍再編の政治学―駐留米軍と海外基地のゆくえ』日本経済新聞出版社、2008年)。

この二つの基地返還は長期化している点で共通しているが、現状が異なっている。現在、龍山基地の移転先となる施設は建設中で、2020年には移転が概ね完了する見込みである。他方、普天間基地の代替施設は、建設に必要な埋め立て承認撤回をめぐり、日本政府と沖縄県との法廷闘争の可能性が出てきている。

なぜこれらの2つの基地の返還が長期化しているのか、なぜ移転計画の進捗に差が出ているのか。本稿では、それぞれの移転計画の変遷と国内での反応を比較する。

偏った費用分担に批判

 

米陸軍龍山駐屯地(United States Army Garrison Yongsan、以下、龍山基地と記す)は、ソウル市庁舎から約3.5km南に位置し、人口227,000人のソウル市龍山区にある。韓国国防部に隣接している。龍山基地には国連軍司令部(United Nations Command: UNC)、在韓米軍(United States Forces Korea: USFK)、米韓連合軍司令部(Combined Forces Command: CFC)及び米陸軍第8軍司令部の本部が置かれている。在韓米軍は、韓国に対する攻撃を抑止し、必要となれば攻撃側を打ち負かすことを任務とする。つまり、龍山基地は韓国防衛を担う米軍全体の指揮・統制をとる拠点である。約253haの敷地に、軍人4,384(陸軍3,825、海軍220、空軍238、海兵隊101)人、民間人966人、予備兵211人の合計5,561人が配属されている(United States Department of Defense, Base Structure Report 2015 Baseline)。

この龍山基地の返還が正式に要求されたのは、1987年12月に遡る。大統領選挙の盧泰愚(ノ・テウ)候補が、民族自尊外交の一環として公約に掲げた。龍山基地は長年、外国軍によって使用されてきた歴史がある。1882年から清朝の軍隊が龍山に3,000人駐留し、1905年に日本が軍用地として収用した。1945年の終戦以降は米軍が駐留している。盧が政権に就いたのちの1990年、龍山基地の移転について韓米両政府の間で覚書が交わされた。龍山基地を96年までに返還すること、移転費用は韓国側が負担することが合意された。しかし、偏った費用分担に対して韓国国内で批判があり、また代替地の案が欠けていたことにより、計画は頓挫した(渡邊武「再配置を契機とする在韓米軍基地問題の変化―『持続可能な駐留環境』に向けて」『防衛研究所紀要』第7巻第1号, 2004年)。

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