執筆者 与那嶺功 沖縄国際大学南島文化研究所特別研究員 1966年沖縄コザ市(現・沖縄市)生まれ。沖縄タイムス記者(北部支社や社会部・学芸部など)を経て、ライター・近現代史研究者に。共著に『歩く・知る・対話する琉球学』(明石書店)。雑誌『琉球』(Ryukyu企画)で『沖縄振興-「明治維新150年」を問う』を33回連載。 与那嶺功の記事一覧 文化 社会 初代最高裁裁判官になれなかった大浜信泉④異国船出没 翻弄される八重山(上) 太平洋と中国大陸との間に弧を描くように160近い島々が連なる琉球諸島。東南アジアと東アジア(日本)を結ぶ国際海上交通の要衝であり、古くから南蛮船や異国船の重要な航路帯であった。現在のような確固たる国境がない時代、ゆるやか […] 与那嶺功 2025.10.15 文化 社会 初代最高裁裁判官になれなかった大浜信泉③柳田国男・伊波普猷・喜舎場永珣 3人の父 石垣島測候所長の岩崎卓爾は気象に関する動物や植物を調べる中で、八重山固有と思われるものを採取しては日本本土の専門家に送って鑑定を頼んだ。日本に分布する蝉の中では最小の種・イワサキクサゼミなど、「イワサキ」という名を冠した […] 与那嶺功 2025.07.22 政治 文化 社会 初代最高裁裁判官になれなかった大浜信泉②南島の夜明け 迷信と科学 今から130年余り前、石垣島に生まれた大浜信泉は周りの子どもたちと同じく、幼いころから山へ薪取りに行って家計を助け、肥料桶を担いで畑仕事を手伝った。小学校にあがる前に眼病を患ったため「ミーハギコーナー(目のはげた子)」 […] 与那嶺功 2025.06.10 政治 文化 社会 初代最高裁裁判官になれなかった大浜信泉①八重山生まれの国際的法律家 いわゆる立身出世を遂げた沖縄出身者としては、真っ先に大浜信泉(おおはま・のぶもと)の名前が挙がる。戦後日本の混乱期、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と対峙しながら極めて重要な役割を果たしたものの、現在では沖縄ですら知 […] 与那嶺功 2025.05.08