「苦い過去」とどう向き合う~戦後80年 沖縄戦認識の乖離

この記事の執筆者

■おすすめ3点

■歴史修正と沖縄戦 西田発言を問う4(古波蔵契、6月10日付琉球新報)

西田氏のひめゆり発言の本丸は「緊急事態条項」を巡る問題だと指摘

■沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか(林博史著、集英社新書)

住民を巻き込んだ地上戦の実相を史料と最新知見で編み上げた沖縄戦史

■軍事化される福祉 米軍統治下沖縄をめぐる「救済」の系譜(増渕あさ子著、インパクト出版会)

米軍占領下の沖縄での「軍事」と「福祉」の相互連携を浮き彫りにする


「ひめゆりの塔」の展示を巡る発言で批判を浴びた西田昌司議員が、7月の参院選で自民党が大きく議席を減らす中、再選された。発言は選挙の2カ月前。西田が指摘する、「日本軍がどんどん入ってきてひめゆり隊が死ぬことになり、アメリカが入ってきて沖縄が解放された」という歴史認識が沖縄のどこに存在するのかは今もって謎だ。

西田は記者会見や国会で謝罪した後、月刊誌への寄稿文で「事実は事実」などと主張した。表舞台でボコボコにやられた後、自陣に戻って「今日はこれぐらいにしといたろ」と開き直る。吉本新喜劇の池乃めだかの鉄板ギャグを地で行くような展開に呆れつつ、やはりこうなったか、という感も否めなかった。

参院選では西田に劣らぬ独自の歴史認識を打ち出す政党が、沖縄を含む全国で得票を重ねて躍進した。「表舞台」だったはずの報道機関が影響力を失い、鉄板ギャグのような論法がはびこる状況を「分断が進んだ」と嘆く程度では生ぬるい。選挙結果を見て、世論が「恐ろしい」と感じたのは初めての経験だ。

西田発言からくむべき本質は何か。

6月10日付琉球新報で古波蔵契は「西田氏を論破したところで話は終わらない」と唱え、「展示に関する事実誤認とは別の厄介な論点」に目を向ける。西田がひめゆり発言の前段として「国民保護」に言及している点に着目し、発言の本丸は「有事に備えた法制度の強化であり、『軍隊は住民を守らない』というフレーズに象徴される沖縄戦の教訓は、そのための障害であると見做される」ことだと射抜き、こう見据える。

「これからも沖縄は、武力攻撃を想定した国民保護法制=緊急事態条項が必要だ、との説得にさらされ続ける。それに煽られ、国防に異を唱える者を『内部の敵』と見做して恫喝する声も大きくなるだろう」

『沖縄戦』で林博史は、住民をスパイ視して相互監視に導き、日本軍による住民虐殺も相次いだ沖縄の地上戦について「日本軍よりも米軍のほうが助けてくれたという証言も多い」と明かす。一方、米軍の残虐性にも触れ、「軍隊組織のあり方が個人の善意を超えた力を持っていた」と説く。

沖縄での「軍事優先」は戦後も貫かれた。それは福祉も例外ではない。

『軍事化される福祉』で増渕あさ子は、米軍統治下の沖縄では米兵の健康を脅かす可能性のある感染症や性病の駆逐・予防などが優先された半面、一般住民の福祉向上や占領体制に支障をきたす恐れが低いとみなされた離島やへき地の医療福祉は沖縄の医療従事者に委ねられた実態を報告。沖縄の遺族が戦後初めて日本の社会保障の適用対象になった「援護法」も、日本政府が沖縄の民間人に拡大運用する際、故人の戦争経験を国家の要求する物語に沿うよう「語り直させる」暴力性をはらんでいた、と指摘する。

同法の適用を受けるには、申請者は自分や家族がいかに日本軍に「自ら進んで」協力したのか詳細に記述した書面を提出する必要があったからだ。こうして沖縄の人たちは日本復帰後も「国家に包摂され、表面的には『平等な』社会政策の対象となったことで、暴力に抗う動きがあらかじめ封じ込められるようになった」と増渕は論じる。

この記事の執筆者