「苦い過去」とどう向き合う~戦後80年 沖縄戦認識の乖離

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日米政府による戦後の「救済」の過程で、沖縄の人々は容易に「なかったこと」にはできない史実を政治的に封じられる体験を重ねてきた。この集団的トラウマの傷を癒すには基地被害を軽減していくのと同時に、旧日本軍の過ちを認め、自衛隊がそれとは決別した組織であることを示すのが何より大事だが、現実は逆方向に進んでいる。

前出の『沖縄戦』で林が論じるのは過去だけではない。自衛隊の沖縄戦認識について、一貫しているのは「日本軍が勇戦奮闘したという日本軍賛美」で、「沖縄の人々の命を奪い生活を破壊したことへの総括も反省もない」と苦言。靖国神社との関係を深める自衛隊幹部や元幹部の言動を踏まえ、「旧軍意識・価値観を現在の自衛隊に注入し続けている」とどういうことが起きるのか、と深い憂慮を示す。

国民保護を巡って問われているのも、いかに美化や希望的観測を排除し、「苦い過去」の教訓をどう生かすかだろう。沖縄戦認識の乖離を放置したまま、「沖縄住民の安全確保」と相いれるとは限らない「国防」を優先すると、何が起きるのか。筆者が沖縄住民だったら恐ろしくてたまらないが、そんな想像力を巡らせる余裕は本土の日常から消えている。戦後80年、「他者」はますます遠くなる。(敬称略)

【本稿は2025年8月25日付毎日新聞朝刊記事を転載しました】

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