沖縄県民投票~忘れてはいけない「一人の少女」

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県民投票前の沖縄で

 

県民投票を前に、雑誌「ニューズウィーク日本版」の依頼で2月に沖縄各地を取材した。懸念された投票率は50%を超え、52・48%だった。反対票は昨年(2018年)、県知事選で玉城デニー知事が獲得した約39万6000票を上回り、40万票を超えた。

結果を見ながら、取材で出会った自民党沖縄県連の幹部が「沖縄の世論は……」と解説してくれたことを思い出す。

《「辺野古は反対。基地もできるだけ少ない方がいいし、無いならないほうがいい。でも、現実には基地で仕事がある人もいて、交流もある。全面撤去は望ましくないが、かといって新しく作られるのは嫌だ。これだけ基地を負担をしていて、なお日本のために新しい基地が必要だと言うなら、本土に作ってくれ」というところに多数が収まるんじゃないかな。

世論調査をやっているからね。間違いない。でも、政権は本気。国の建設は止められない。受け入れるしかないって人もいるし、何よりあれだけ危険な普天間が返還されるなら仕方ないという人もいる。》

ひとしきり「世論」を解説した後、彼は興味深い話を始めた。辺野古について反対を貫いた前知事の翁長雄志、前々知事で辺野古周辺海域の埋め立てを承認しながらも、沖縄が置かれた状況を「差別に近い」と語った仲井真弘多の違いである。

翁長はかつては自民県連の雄、仲井真は自民系が推した知事だ。二人のことはともによく知っている。

《ウチナンチューが本気で国とケンカを続けることができるのか。今はまだできない、と思っていたのが仲井真さんで、今こそ戦うべきだと思ったのが翁長さん。分断があるっていうけど、彼らの違いは本土の人が思っているほどには無いんだよ。本土から来たメディアの人にはわからないと思うけどさ……。》

外から見れば「分断」と言いたくなるような違いも、内側のモノサシを使えば違って見える。

県民投票で反対を呼びかけるノボリ(沖縄県名護市で筆者撮影)

 

忘れてはいけない原点

 

少女暴行事件と同時に忘れてはいけないのは、今回の県民投票を主導したグループも反対と賛成の分断を促すという狙いはまったくないということだ。繰り返し聞いたのは、「県民投票で意思表示をして、いがみ合いや分断を乗り越えたい」という強い思いだった。

これが彼らの原点だ。

少なくとも私が取材した人たちが、時間を費やしたいと思っていたのは「基地が多すぎる。経済が弱すぎる」という沖縄の問題を受け止め、未来を語るということだった。

沖縄は多くの願望が投影される土地だ。保守もリベラルも共通しているのは、自身の政治的なスタンスに合致する時は喜び、反対する民意が示されたときはがっかりするということだ。

政治的スタンスというモノサシだけで「民意」を解釈し、利用しようとする。今回の投票結果を巡っても、よくやったという賞賛、意味がないという批判、県民は何もわかっていないという冷笑が飛び交うだろう。

こうした姿勢こそが無駄な分断を生んでいる。問題は内部にあるのではない。上がった声を聞かない政府であり、都合のいい意見にしか共感できない人々にある。投じられた一票の向こうに何があるのか。何かを言う前に立ち止まって考えることはどこにいてもできる。

忘れてはいけないのは、歴史であり、原点だ。

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