ハンストの裏側にある日常
昨年11月にもこんなことがあった。県議会の議会棟である保守系県議から呼び止められ、ひとしきり県民投票の話をした後に激励され、最後に「今度、飲みに行こうね」と誘われる。
元山は、これはうれしいことだと言う。
狭い島である。ある問題をめぐって意見が対立したとしても、別の場所でも仲たがいする必要はないと元山は思う。「だって敵じゃないですからね」
県民投票で自民党分裂劇のキーマンとなった、県連会長・照屋守之ともつながりがある。照屋はほぼ単独で3択案に合意したといわれるが、自民を一本化させることができず会長職の辞任届を提出した。私たちが滞在していた時期、照屋はまさに「時の人」でメディア関係者の取材にも応じていなかった。
「照屋さんからは携帯に電話がかかってきて、『君の思いをくんだ。自分の責任で3択にしてでも全県でやるべきだと判断した』と言われましたよ。えっ、それを確かめたい?
じゃあかけてみましょうか」
目の前でスマホを手に取り、元山は照屋に電話をかけた。数回のコール音のあと、照屋は電話に出た。彼は地元記者もつかまえられなかった照屋と「お疲れさまです」と親しげに会話し、取材を受けていること、私が話を聞きたいと言っている旨を丁寧に伝えてくれたが……。
「取材は勘弁してほしい、ですか。分かりました。えぇ、またよろしくお願いします」。元山は目線をこちらに向けて、首を横に振る。
「そんなわけで、ダメでした」と話す彼の姿に、沖縄の政治の一端を垣間見た気がした。大きな「分断」がそこにはなく、ある問題で考えが合わなくても、社会的な関係そのものが切れるわけではない。
元山は「リベラル」「基地反対派」といったレッテルを貼られがちだが、県民投票を求める署名活動で、県政与党も含めた既成政党への不信感が募ったとも話した。18年5月に始めたが、組織力不足から、最初の1カ月で署名は約3800筆しか集まらなかった。
そこから元山らが手弁当で街頭に立ち、「サンエー」「かねひで」といった地元のスーパーの前でも署名を集めた。彼らの署名が集まるにつれて、政党も協力へと動きだす。結果、約10万筆を集めたが、最初から協力的な政党はあったのだろうか、と思っている。
「照屋さんや保守系の政治家にも敬意はありますよ」。それは父親に対しても同じだ。ほら、見てくださいと元山はYouTubeの画面を開く。元山を追い掛けたドキュメンタリー映像の中に、かりゆしを着た父と並んで座って対話するシーンがある。
父は息子に自分の意見を伝える。「ここでも言ってますよね。うちの親は『日本に直接民主主義的な県民投票はそぐわない。危ない普天間基地を撤去してほしい。一時的であれ辺野古に移せば、少なくとも宜野湾市で事故は減る』という立場なんです」
父と息子、それぞれの立場は違うが父は息子の活動を止めることはなく、息子は父に対して敬意を払う。ハンストの裏側にある、日常だ。
<本稿は『ニューズウィーク日本版』2019年2月26日号(2月19日発売)で掲載された長編ルポ「沖縄ラプソディ/Okinawan Rhapsody」特集の第1章を転載しました>