『屋良朝苗日誌』に見る皇太子明仁の沖縄初訪問【下】

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皇太子の帰京と屋良の上京

翌十八日、皇太子夫妻は海洋博の会場である本部町へ海上保安庁の巡視船で移動し会場内を視察した。

その後に名護市屋我地の愛楽園を慰問している。

十九日、海洋博開会式が催された。屋良はスピーチにて「わが沖縄県は亜熱帯特有の海洋性自然と温かく細やかな人情で知られる守礼の邦であり、何よりも世界の平和と友好親善を望み、この国際交流の場を通じて貢献したい所存です」と述べている(『激動八年』256頁)。

この日の夕刻、皇太子夫妻は帰京のため那覇空港へと向かった。

直ちに飛行場へ。港から飛行場まで万余り御迎え人あり。頭が下る。空港にも沢山の見送り人、親しく手をふられあいさつ。直ぐ飛行機へ。別に私に沖縄県民にくれぐれも宜しくとの言葉あり。かくて沖縄における殿下の全日程終る。〔中略〕かくて事故はあったが殿下の送迎をすまし、海洋博歴史的開会式典も無事にすます。正に歴史的山場の行事を終る事が出来た。かくて私の人生の歴史的な山場、否沖縄の歴史的山場も週日終る。顧みて感深し。

(屋良日誌36)

初日こそ事件が発生したものの、その後の日程をなんとか無事に終えた屋良の心情が滲み出ている。

7月28日、屋良は上京する。その目的は「海洋博関係者代表の方々、特に皇太子殿下妃殿下に御礼を申しあげ、且不祥事件に申し訳なしと遺憾の意を表明する為」(屋良日誌112)であった。28日に屋良は三木総理大臣や宮内庁長官らと面会し、翌29日10時より皇太子夫妻に会うため東宮御所へと足を運んだ。

十時から東宮御所訪問。大夫、侍従長、八木侍従に会って、十時二十分頃から両殿下に大浜会長と二人で会う。約四〇分位いろいろ御話しする。二人から御来沖に御礼、不祥事件に申しわけなしと御詫びする。もうその問題については何ともふれられなかった。御世話になったと礼を云って居られた。海洋博の成功について話しても居られ、跡利用等についても言及された。そして私からpost海洋博の沖縄課題、私の持論等についても話し、又殿下の御巡拝についても所感をのべたりした。沖縄の問題は国民がよく理解しなければならぬ、沖縄に行く人も事前によく勉強していくべきだとも話され、沖縄でのおことばの内容の話をされたと思う。

(屋良日誌36)

皇太子の「沖縄の問題は国民がよく理解しなければならぬ、沖縄に行く人も事前によく勉強していくべきだ」の一言は令和となった今日においても重く響く。

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