投影型歴史観の流行?
4月の中旬にJRの渋谷駅から東横線の渋谷駅に向かって歩いていると、「幕カレ」というゲームを宣伝するポスターが通路の柱いっぱいに張られていた。幕末の著名人が、実像はともかく今風のイケメン顔になって登場している。この手のものは苦手であるので、ただ通り過ぎつもりであったが、授業との関連で思い直して撮影することにした。
撮影を決心した授業内容というのは、2017年に小中学校の教科書も聖徳太子から厩戸王に名称を変えるという学習指導要領の方針案が発表された件についてである。記憶に残っている方もいると思うが、この文科省の発表に対して、聖徳太子の名前を残せと言う保守的な市民運動が起き、小中学校は現行の聖徳太子表記に落ち着いたというのが、その顛末である。この問題を通して、歴史用語というものも、客観的なものではなく、ある種のナショナリズムの影響があるという、歴史像とナショナリズムの関連性について説明する際の具体例として使用したのである。
これだけだと、読者も聖徳太子と「幕カレ」の関連がいまいちわからないと思うが、翌週の授業で、撮影した「幕カレ」の画像を見せつつ、拙稿(「『琉球処分』をめぐる研究史と若干の問題提起」、『琉大史学』18号)で述べた、歴史への向き合い方の2つのタイプ(投影型と探求型)があると述べた。ちなみに、投影型とは偉人検証や教訓タイプ、最近流行りの歴女などであり、探求型とはスタンダードな研究姿勢のことである。
授業では、あわせて、高木博志「近代天皇制と古代文化」(『岩波講座天皇と王権を考える5』所収)の次の一節、「前近代の聖徳太子象が、観音の化身、仏教の聖者として、童形であったのに対し、近代には聖徳太子イメージが御物の唐本御影(一九八四年までの一万円札の肖像)に特化され、近代の神話となってゆく。政治家、有徳者としての聖徳太子象は、二〇世紀には国民道徳と重ねられてゆく」を紹介した。高木の文書から、われわれが聖徳太子として慣れ親しんでいる聖徳太子象も(平成生まれにとってはそれほど馴染み深いものではないかもしれないが)、ある種の価値観が媒介/投影されたイメージ図であることを確認した。
このように、聖徳太子という言葉や姿には、時代の価値観が反映されている以上、そこには「本当の」聖徳太子の探求ではなく、市民運動のように「自分が見たい」ものを投影した聖徳太子への死守が優先されていたといえる。
そこで授業では、厩戸王よりも聖徳太子であって欲しいという気持ちと「幕カレ」に熱中する気持ちは50歩100歩なのか、それとも全く異質なのか、考えてみてごらんという話をした。