本書の著者である小濱武氏は1986年生まれであるが、「『1995年』を体感しながら育ち」(191頁)と書いてあるので、10代の多感なときの経験を研究の肥やしにしたのであろうか、沖縄問題への何らかのこだわりを感じる本である。もっとも、直球的な「回答」ではないが、農業史の分野から知見を加えようとした、誠実さを読後に感じる専門書である。
「誠実さ」と書いたのは、本書のテーマが地味であることを褒めるための「言い換え用語」として使用したわけではない。著者は政治史、社会史、ジェンダー史が牽引する戦後沖縄史の隆盛に「ささやかながら、経済史という領域から、それに加わることを企図している」(ⅰ頁)と述べているが、観光やサトウキビのように脚光を浴びるようなテーマをとり上げてはいない。
また、本書は「沖縄における食糧米政策の展開を、琉球政府の主体性(自律性)に着目して、明らかにする」といいながら、「沖縄の自立性が構造的に限界づけられて過程の一端を描きだす」(ⅰ頁)と、沖縄の「主体性」が注目されると、やや過剰になりがちな「ポジティブ評価」な筆致で描いていないことを評者なりに評価した言である。
もう一声付け加えれば、本書は小濱氏が琉球政府の食糧米政策に着目したのは、「自立性」を象徴的に捉えられるという遠大な目標に導かれた成果というよりも、先生方から「沖縄の食糧需給がどうなっていたのか」(191頁)という“問いかけ”をきっかけに結実させているからである(もっとも、問いは面白くても、玉にするには根気のいる作業であり、それよりも、様々な事情で玉にすることができない場合も多い)。
やや舞台裏的な発言になるが、研究書を手にする読者は、博士論文が学術書として刊行される成果をいくつか見ているので、これら一連のサイクルが普通にみえるかもしれないが、院生として博士論文を仕上げる過程で、迷走し、力尽きる人をそれなりに見てきたものとしては、食糧米政策という地味なテーマに取り組み、それを博士論文として結実させたことに対し「誠実さ」の評価を贈りたい気持ちをもったことも一因としてある。