【書評】小濱武著『琉球政府の食糧米政策~沖縄の自立性と食糧安全保障』

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  「自由化」のプロセス

本書は、全5章からなり、第1章が「食糧米供給不足下における需給調整政策:1945年~1958年」であり、最後の第5章が「『復帰』を前提とした食糧米政策の再編:1970年~1972年」と、アメリカ占領期の一時期ではなく、27年の全過程を対象にしている。

 さて、本書はアメリカ占領期の輸入米と米自給をめぐる話であるが、本書と同じようにアメリカの食糧援助プログラムを法制化したPL四八〇[1]に注目し、アメリカ農産物の普及(ここでは小麦)を扱ったものとして、鈴木武雄『「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活』(藤原書店、2003年)がある。もっとも鈴木の本は、日本型栄養学の普及(復権)を試みることを主眼としており、その前提として、戦後の欧米型栄養学普及にあたって、アメリカの小麦余りの解消がこめられていたというアメリカの国内事情と政治活動を踏まえて、戦後の日本人の食生活の変貌を描いている。日本の食糧難とアメリカの小麦余りの、普及にあたって、欧米型食生活が優れているという栄養改善運動の啓蒙の結果であると、戦略と言説の産物として小麦を中心とした食生活が普及されていく軌跡を述べている。

鈴木は戦後日本人の栄養知識の再編(日本的食生活の否定化)を仕切り直すことを目的としているので、「アメリカの官民挙げての、日本を標的にした極めて政治的な農産物、家畜飼料の売り込み作戦であった」(鈴木、2頁)と、やや「陰謀論」的な雰囲気を醸し出す筆致であるが、PL480による「自由化」を扱った第3章は「琉米日の三者の利害関係」(第3章)の調整に注目し、過程を淡々と描いている。

さて、文脈上やや唐突に「三者の利害関係」なる語句を引用したが、この「日米政府の政策課題を受けた食糧米政策の「自由化」への展開」と名付けた第3章は、USCARの加州米輸入促進政策と日本政府の沖縄産糖保護政策というように、お米の「自由化」とサトウキビの保護とのつながりで食糧米「自由化」のプロセスを分析している。

サトウキビとお米

本書ではやや遠景になった感のあるサトウキビとお米の絡み合いであるが、この点に関して、時間軸と場所をずらして、サトウキビとお米の栽培をめぐる対立を考えると、植民地期台湾の「米糖相剋」という問題がある(柯志明『米糖相剋』、群学出版、2006年)、柯氏の本は台湾総督府による上からの糖業政策―従属的資本主義化の問題を扱っているので、本書の構図(お米の「自由化」とサトウキビの保護の構図)とは違うという批判もあるかもしれないが、農家がどの作物を作るのか、その大きな力学を理解する際の参照軸になると考える。

こうした台湾の事例を紹介したのは、本書は食糧米の自給に注目しながら、沖縄の人々の口を満足させるお米の量と、それにふさわしい農地の確保とは、どれだけなのか、こうした農地に対する言及が乏しいからである[2]。よって、島嶼県沖縄の食糧米自給という本書の関心に注目すると、「小農自立」や石高制という農業社会を前提とする東アジア近世論に対して、近世琉球を島嶼社会に即して考えようとする近世史の試み(『アジア民衆史研究』22集、2017年。または豊見山和行「島嶼国・琉球の自律性について」(『島嶼地域科学という挑戦』所収、ボーダーインク、2019年)があるので、それらとの対話を勧めたくなる。

前者は石高制を前提とする琉球王国の身分制の不安定(≒柔軟)さによる、「生存戦略」を問うたものであるが、後者の豊見山論考は小濱氏の問題と近いところがある。そこで少し豊見山氏の論を紹介していく事にする。豊見山氏は薩摩藩支配下の琉球国の自律性の解明を目指す立場であるが、この論考では「食料問題をふくむ自給体制、ひろく言えば農政全般につながる問題…このような社会経済史の側面から、琉球の自律性を検討する」(豊見山、84頁)としている。とはいえ「琉球列島の島々では、土壌の問題から稲作に不向きな島画多かった薩摩藩の支配を通して稲作を中心とした年貢体系(石高制)が琉球国に適用されたため、…王府は稲作以外の作物によって食料の確保を展開していた」(豊見山、89頁)ので、豊見山氏が明らかにする「自律性」とは、年貢米以外の余剰米生産を目指す政策を出したわけではなく、唐芋や蘇鉄の生産を奨励した「自律性」のことである。


[1] 本書は、PL480について詳しく説明をしていないが、後述の鈴木によるとPl480は通称、余剰農産物処理法、正式名称、農業貿易促進援助法と訳している。

[2] 本書は議論の前提として、沖縄の食糧米輸入体質と、農家の減少、基地関連産業から遠い場所である本島北部や八重山に稲作農家の比率が高いため、かれら農家を保護する必要があった点をあげている。

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