立ち返るべき民主主義とは

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今年の夏、思うところがあってG・フェーブルの『一七八九年―フランス革命序論』を再読した。それは「一九三九年の若者よ!人権宣言はまた一つの伝統であり、しかも光栄ある伝統である」という文言を確認するためである。なぜ、フェーブルの本を読み返したのかというと、韓国の「タクシードライバ―」公開に際して、光州事件が韓国民主化運動の「起点」として再起されているという話を聞いたからである。

 

民主主義の起点を求めて

 

フェーブルの本はフランス革命一五〇周年記念の一環として出版されたものであるが、「一九三九年の若者よ」と書いているように、この本の刊行は第二次世界大戦勃発前とはいえ、ナチズムの脅威、またはヨーロッパ世界を覆う危機感に際して、「神話」を呼び戻す作業であったといえよう。

世界的に民主主義の問い直しを感じる現在であるので、立ち返るべく「起点」を求める作業が起きてもおかしくない。さて、本稿は玉城デニー知事誕生を契機に書いているものであるが、それでは、沖縄では立ち返る、精神的基盤になるような「民主主義の神話」があるのだろうか。

このように考えると、明治期の沖縄で奈良原繁知事と対立し、職を辞した後、参政権運動を展開した謝花昇の民権運動(謝花民権)をめぐる顕彰が米軍統治期に特に盛んであったことが思い出される。とはいえ謝花民権は、復帰運動の限界が見えてきた中で新川明によって批判された経緯があるので謝花民権は無傷の神話とはいえないが、謝花民権を顕彰し、または批判することは、(議会制)民主主義の良さと欠点の両面を知ることを意味しており、「多数決の正義」を抑制する上で重要な問いかけになる。

さて、謝花民権を紹介したついでに、もう一つ別の文章を紹介したい。それは「この文は那覇市での講演筆記である」と注記した『明治維新』などの著書で知られる歴史家遠山茂樹による「民権派の国家観」(1979年)である(ちなみに「民権派の国家観」を所収した『自由民権と現代』の「「はしがき」にかえて」で遠山は自由民権運動100年に参加する励ましになったのはルフェーブルの『一七八九年―フランス革命序論』を読んだからと書いている)。

 

「民権派の国家観」のなかで遠山は「本土と沖縄との自由民権の間には、二〇年の時間のへだたりがありました」と、この時間的な差が「歴史的な段階という質的な差を意味していた」としながら、「本土と沖縄の自由民権運動の歴史は、今日の私たちに何を語りかけているのでしょうか。私はこう考えます」と、歴史の限界に触れつつ、その遺産をくみつつ現在の可能性を3点ほどあげているが、その中の1つに「本土と沖縄の民主主義運動の連携を阻み、その勝利を不可能にした、その歴史的条件は、現在では大きく変わろうとしています」と、連帯の可能性が強まったと述べている。

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