令和に持ち越された沖縄問題と新しい日本像のつくりかた

この記事の執筆者

天皇の「補完」

沖縄問題における保守派の態度変容というのは、国家が好きであるはずの保守派が、国民統合言説の構想力を弱めて排除の心性が強くなっていることを説明するためである。そして、その背景には、冒頭で縷々述べた「歴史を美化したい」と同じように、不都合なものを見たくないという心性とつながるであろうというのが本論の趣旨である。もっとも、この点は多く語られているので、ここでは言を加えず、注で短く書いた天皇の「補完」について以下考えてみたい。

退位前の明仁天皇(現上皇、当時の活動を述べるので、以下、明仁天皇と表記)の沖縄に対する思いが安倍政権批判との関連で言及されていたことは記憶に新しいと思う。そういう中で、筆者はあえて、補完関係と述べた。それは基地建設に伴う、沖縄における離日本の心性を、天皇の沖縄への思いが発せられることで、離日本の心性を抑える役割があるということである。

明仁天皇の存在は、愛国心の名のもとに、不都合なものを排除し自分に都合の良いように世界を解釈する心性を相対化し、もう一つの道筋を考える役目になっていた。また、最近は日本だけでなく、あちらこちらの国々で「分断」というものがキーワードになっている。このように現代社会を見渡せば、利害対立が激しいなかで、統合を維持するうえで、どのような役回りが必要なのか、その必要性と難しさを天皇の活動は垣間見せているといえる。もちろん、明仁天皇は、現状認識だけでなく、(昭和天皇の轍を踏まえてかどうかは分からないが)沖縄への思いを述べることで、日本本土と沖縄の紐帯を日々活性化してきたのかもしれない。

とはいえ、天皇を介在させることなく、沖縄問題の解決に向かおうという議論があることを知っている。あえて、二項対立的に提示するつもりはないが、対立回避の言説は「民意」が有効なのか、それとも「天皇」が有効なのか、こうしたことを考えるような事態である。

安易に敵を作って排除していけば、気持ちはいいかもしれないが、そうしていけば、国の存立基盤が弱くなるのは当然である。沖縄に紐帯を意識させるような言葉を誰が発するのか、明仁天皇が果たした役割は空白なのか、それとも埋まっているのか。ともかく、平成ではじまった辺野古の問題は令和にまで持ち越された。

天皇は「国民統合の象徴」であるが、「統合の象徴」として積極的に働きかける存在になったのが平成の天皇である。それでは「統合の象徴」のために「勤める」動詞に何が含まれるのか、天皇と国民の相互作用の中で生まれるのであろう。さらに、相互作用と考えた場合、天皇だけに「国民統合」の努力をおわせてよいのかという問題もでてくる。

国民統合という観点から沖縄へのヘイト問題を考えると、国民統合の下支えを担うと思われる「草莽の保守派」が排除の運動に専念していないかどうか、疑問は拭えない。それと同時に、保守派は新しい統合言説を作ることができるのか、この点での知的奮起はもうひと頑張り必要ではないか、それを期待してこのような一文を書いてみた。

国民主権と象徴天皇制の両立を明仁天皇は問いかけて退位したと言われている。その表現のひそみに倣えば、主権の存する国民は、はたしてどのような総意のもとに、どのような分断を回避する統合の言説をつくっていくのであろうか。「愛国心満載の美しい日本史」の中に沖縄は入っているのかどうか、これは日本本土だけでなく沖縄も含めた両方で考える問題であろう。

この記事の執筆者