令和に持ち越された沖縄問題と新しい日本像のつくりかた

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排除と包摂

 今回のエッセーは、明治学院大学平和学研究所の『PRIME』42号に発表した拙稿(「『無知・無理解・無関心』に関する歴史的考察」)を読んだ知人から、「そのダイジェストでも書いて、投稿したら」と勧められたことをきっかけにしている。だが、拙稿はデジタルでも読めるので、少し違う角度から組み直して、話題を提供したいと考えた。そのため、冒頭のエピソード(歴史を美化したいという心性)と、下記拙稿の引用部分をつなげて、読者と議論を行いたいと思う。

私は沖縄の歴史を紹介する講座を数回やってきたが、その際、1996年に刊行された『発言者』という雑誌に掲載されたある発言と、2013年のオスプレイ配置撤回を求めるデモ行進にヘイトスピーチがかけられたという記事をセットにした資料を配って感想文を書いてもらってきた。

前者の『発言者』の記事は、1995年の少女暴行事件を経て、沖縄への向き合いかたを保守側が議論したものである。この記事で高澤秀治は、知花昌一や大田昌秀の思想や行動を述べつつ「つまり彼らは単純に自分たちを日本人だと思っていないということです。沖縄のナショナリティにはそういう複雑さがある。私は左翼的な観点から言ってるわけではないのです。沖縄は現代の保守にとっての一つの試金石だと思うのです」(13)と述べている。

私は授業でこの高澤の「沖縄は現代の保守にとっての一つの試金石」に注意するよう述べて、続けて2013年に沖縄からの抗議運動にヘイトスピーチがあびせられたという文章を紹介して、「『一つの試金石』という危機意識から、おおよそ20年たとうとして、ヘイトスピーチに至ったわけだが、それは日本の保守にとって、必然と思うか、逸脱と思うか、私見を述べてください」と、簡単なコメントを書く宿題を出した。…(中略)…

提出されたコメントを読んでみると、まず第一に、20年という年月は長く、受講生からすると自分の人生とほぼ一緒の期間になる。こうした、時間幅の変化を捉えることは難しかったようである。第二に、沖縄をめぐる問題があることと、保守という言葉は知っていても、沖縄問題に取り組む保守(グループ)という視座はなかったようで、この枠組みで問題を把握するまでには至らなかったようである。よって第三に、逸脱/必然と時系列にそった論理での説明は弱くなる。そのため、全体的に回答を見ると、ヒューマニズムの視点から「差別的な発言はよくない」という文章が多かった。

ちなみに、前者(高澤の発言)は再統合の言説であるが、後者(ヘイトスピーチ)は排除の言説である(14)。このように整理すると、なぜ、国家意識の高まりがあるにもかかわらず、分断を助長するような論調が優勢になってきたのであろうか。単に「留飲を下げるため」と言われているが、こうした自己都合の論理と国家意識を前面に出す語彙とのズレに筆者自身気になるところがあった。そのため、あのような問題を出して、納得するものを探そうとしたのである。

結果は、前述の通りであったが、感想文を読みつつ、改めて考えてみると、中国脅威論が背景にあるのなら、なおさら、団結にむけて説得と冷静な状況分析に勤しむ必要があるのに、危機に立ち向かうため、純化(異論排除)の心性が優先されることに、ヘイトへの危機感よりも、安易に排除の言説に向かっていく「愛国者」の心性が有する問題点の析出が必要になってくる。

あえて、元の文の注まで残して引用したのは、注の部分に「この点で考えると、対立的にみえる天皇と政権の関係であるが、基地建設と再統合について補完関係であると説明することもできよう」と、述べたからである。

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