【書評】佐藤モニカの沖縄詠 ―歌集『夏の領域』から―

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「しまへり」の淡さ

 

砂のごとちんすこう崩れそのかみの琉球王国消えてしまへり

山折り谷折り切り取り線のやうに見ゆ沖縄コザの基地のフェンスは

どの人もまた遺族なり摩文仁野にハイビスカスの花を見上げて

 

一首目、ちんすこうの袋をポケットに入れておいて、気付くと粉々になっていた、という経験をした人は少なくないのではないか。崩れたちんすこうはまさに砂のようである。その崩れやすさを琉球王国の歴史と重ねて詠む(ちんすこうは王国時代から存在する伝統的な菓子でもある)。客観的に事実のみを詠んでいるようだが、「しまへり」に作者の琉球に寄せる想いが表われている。遠い過去のことを詠むのならば、過去の助動詞「き」「けり」を用いて「しまひき」や「しまひけり」とするところだが、ここでは完了・存続の助動詞「り」を用いる。この「り」によって、王国の消滅が起きたばかりのことだということ、あるいは、王国消滅が今にも尾を引いているということ、が示される。すなわち、遥か昔に過ぎ去った出来事としてではなく、今の沖縄に影を落としている問題として作者は捉えているのである。この抑制された「しまへり」の淡さが、一首に淋しさを増している。

二首目は基地のフェンスで区切られた沖縄島をまるで折り紙や工作の対象であるかのように見る大胆な歌。住民の意思とは無関係に縦横無尽に走るフェンス。それはまさに、島を、人々の心を折り、切り取るかのようである。フェンスの暴力性に注目した歌。

三首目、慰霊の日の情景を詠んだ歌なのだろう。平和の礎の前でしゃがみ、礎に刻まれた名に手を合わせ、顔を上げる人達の姿が想像される。ハイビスカスの花の華やかさ、そしておそらく快晴なのだろう、その光景が却って寂しい。

上記のような(沖縄移住前)の沖縄詠はどこか大づかみで、外から沖縄を見ている歌と言えようが、移住後の沖縄詠には少し違いが見られる。Ⅱに収録された歌を挙げる。

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