【書評】佐藤モニカの沖縄詠 ―歌集『夏の領域』から―

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沖縄の「痛み」に触れる

 

天ぷらの下敷きとなるオスプレイ徐々に滲みてゆくを見てゐる

屋敷壊しと言はるるデイゴいつの日か基地壊さむと囁き合へり

赤き粉噴きつつ螺子の傾きてもう耐へられずと泣いてゐるなり

 

一首目、揚げた天ぷらを新聞紙の上に載せている。紙面を飾っているのはオスプレイの写真である。「滲みてゆくを見てゐる」作者が何を思っているのか、そこは明示されていないが、墜落を危惧する県民の声を物ともせずに頭上を飛び回るオスプレイが、県民によりおさえつけられ「天ぷらの下敷き」となってしまうという逆転の構図に、一種の仕返しのようなものを感じ取ることも可能であろう。

二首目、沖縄を代表する植物で県花でもあるデイゴは、屋敷を傾けるほど根の力が強いことから「屋敷壊し」とも呼ばれるらしい。戦後沖縄の短歌を振り返ると、デイゴは沖縄戦の悲劇と重ねて詠まれることが多かった。赤い花が血の色を連想させるからである。しかし、ここでは基地への攻撃を企んでいるというデイゴの「囁き」に耳を澄ませた点が個性的だ。

「赤き粉噴きつつ」という細部の描写が上手い三首目、この歌が収録されている前の頁には「痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば錫色の月浮かぶ沖縄」という歌がある。それを踏まえると、錆びて傾いた螺子(ネジ)に沖縄の人の心を重ねていると解釈してもいいのかもしれない。沖縄に住み始めたことで、観光客として訪れた時とは異なって近くで時間をかけて沖縄の「痛み」に触れる作者は、デイゴや螺子といった周囲のものにも痛みを感受し、それらが代弁する沖縄の声を聞き逃すまいとしている。

 

どちらが勝つても悲しいものが残りさう 夫と連れ立ち投票へ行く

選挙終はりし町いつになくやつれたりハイビスカスの萎むのに似て

 

選挙を詠んだ歌もある。沖縄の選挙では当然、基地問題が大きなテーマとなる。ここで詠まれた選挙ではかなりの激戦だったようだ。基地反対が県民の総意だということを言い切ることがためらわれるような激戦、住民を分裂させてしまう状況があることを作者は目の当たりにしたのだろう。

移住し、沖縄県民の一人となった佐藤モニカは、マクロで大づかみなかつての詠みぶりではなく、ミクロで具体的な詠みぶりで沖縄を描こうとしているようだ。これまで沖縄歌人の沖縄詠、特に基地を詠む作品に対して、「基地反対のスローガンや新聞の見出しのようで、どの歌も同じに見える」といった批判がなされることがしばしばあった。そのような中、身の回りにある個別具体的な出来事や風景を掬い取ることで、従来の沖縄詠とは違ったタイプの歌を佐藤モニカは生みだしつつあるように思う。

なお、本稿では紙幅の関係でほとんどとりあげられなかったが、基地以外の歌(育児の他にも相聞や仕事、食べ物の歌など)で魅力的な作も本歌集には多い。

 

さーふーふーはほろ酔ひの意味さーふーふーの君と月夜の道歩き出す

ラジオより唐船ドーイ流れきて運転手少し体を揺らす

パインカッターぎゆうつと回す昼下り驚くほどに空近くあり

みんなみは明るくまぶしいだけでなしその濃き影をつくづくと見る

 

今後とも、この歌人によって明暗入り交じった多面的な沖縄が描き出されていくことを期待している。

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