145年の歴史の壁
私は沖縄に生まれ、1872年の琉球王国滅亡から1945年の沖縄戦、そこから1972年の復帰までの米軍占領について、記録や体験談、映像を何べんも見聞きしてきている。学ぶことで体験者の気持ちを共有できている。ガンクー(沖縄の言葉で「頑固」)なオジーとオバーに、祖先に感謝できる。私たちは145年の歴史と感情の共有をしてきている。145年という壁は厚く硬い。そこに悲しみが沁み込んでいる。
前述のダイビングショップの経営者はどうだろうか。沖縄で30年もの間、店を経営してきたことは、いち個人としては一生をささげてきたも同然だろう。でも、沖縄の感情を共有できるほど歴史を知らないのであれば、私たちの前では昨日来たばかりの人と変わりない。もしくは観光客と同じ「違和感」のある存在となっている。
本土の人は、歴史に由来する本土と沖縄との間の溝が「ある」と認識するところにすら立ててない気がする。琉球処分や沖縄戦は「沖縄の歴史」ではない。「あなたたちの歴史」でもある。自分たちの歴史と向き合っていただきたい。
沖縄の人はなんで145年間も歴史を共有し続けてきたのか。なんでそうする必要があったのか。それは、何ひとつ納得できなかったからだ。いつも沖縄の人の意志に反して、「琉球」から「沖縄」になり、太平洋戦争における国内では唯一の地上戦がおこり、米軍に土地を搾取された。いま日本人であることも、その流れのまま表面的に日本人になっているだけじゃないだろうか。
「基地問題」は日常の延長上にある
2017年12月13日、沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校の校庭に、上空を飛ぶ普天間飛行場所属の米軍ヘリから重さ7・7キロの窓が落下した。落下地点の10m以内に子供たちがいた。その6日前の12月7日にも、宜野湾市の保育園の屋根に普天間の米軍ヘリの透明な筒が落下している【*編者注】。数日の間に二度も。その後、第二小や保育園に誹謗中傷する電話やメールも相次いだ。誰もけがをしなかったからよかったという話ではない。色々な思いがこみ上げてくる。
子どものことを思ったら、普天間に基地を置いておけないことは明白。でも、普天間飛行場を直線距離で約36キロ離れた辺野古に移設したところで、米軍ヘリが沖縄の上空を好き放題飛ぶことは変わらない。辺野古移設推進が「基地の負担軽減」だと言う自民党も大手メディアも、質のいい教育を受けていたら、そんな残念なことは言わないんじゃないかと思う。
この国が本土と沖縄との間に溝を掘り続け、私たちの歴史の壁はどんどん重さを増していく。溝を埋めるスコップを握るのはウチナーンチュではないはずだ。
【本稿は、親富祖愛さんがFBにつづった文章を沖縄国際大学非常勤講師の山本章子さんが再構成し、二人三脚でまとめました】
【*編者注】米軍は同型の部品が普天間所属機CH53Eヘリにあることは認めたが、「飛行前に取り外し、過不足なくそろっている」などとして、「飛行中に落下した可能性は低い」と関与を否定している。