沖縄基地問題の起源―『沖縄米軍基地と日米安保』に寄せて―【上】

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沖縄基地問題をめぐる議論

 

近年、沖縄基地問題といえば、普天間基地返還問題に焦点が当てられることが多い。普天間基地については、19964月に日米両政府の間で基地の代替施設完成後の全面返還が合意されてから、既に20年以上が経っている。

しかしながら、日本国内では代替施設の建設について未だ議論が続いている。代替施設の建設予定地である辺野古周辺において、基地建設を着々と進めようとする日本政府に対し、これ以上の基地負担を許容できない沖縄県民からの反発が高まっている。加えて最近では、沖縄に駐留する米軍ヘリによる事故が相次いでおり、沖縄県民の不安と不満は高まるばかりである。

以上の状況を背景として、沖縄の過剰な基地負担、大規模な米軍基地が長期にわたり固定化された状態にあることに対する問題意識自体は、学会や社会一般の双方において幅広く共有されてきたと言ってよいのではないだろうか。そして、そのような問題意識に基づいた議論は、これまでも数多くなされてきた。

 

起源まで遡る意味

 

だがその一方で、なぜ沖縄米軍基地の削減が進まず、固定化された状態が続いてしまうのかという、冒頭で記した問いについては、これまで十分には解明されてこなかったように思う。もちろん、これまでにも数多くの歴史的な検証がなされてきた。本書が扱った第二次世界大戦後初期の沖縄の領土主権(施政権)をめぐる日米の構想と交渉についても、概ね明らかにされてきた。

しかしながら、それらの過去の出来事が現在の問題とどのような関係にあるのか、つまり過去の日米両政府の構想と交渉が現在の基地問題にどのような影響を及ぼしているのかという、一見すると素朴ではあるが重要な問いへの答えは、明確に示されてこなかった。

沖縄基地問題が長年解決されず、混迷を極めている今だからこそ、日米両政府にとって沖縄が問題となり始めた時点から改めて順に展開を追うという、「歴史を知ること」が重要であろう。そのような作業を通して、基地固定化の一因を明らかにすることが、今日的な課題を検討する上で不可欠となるのである。

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